天鵞絨色のエトセトラ ~Velvet-colored Etosetra~

天鵞絨色のエトセトラ ~Velvet-colored Etosetra~

課題レポートより頑張れている気がします。

いつも時間に数字に追われる毎日 ~2024年春 18きっぷ2~

お疲れ様です。さいがきです。クソ忙しくなってきてネットに構う暇が無くなってきました。ゼミとインターン探しきつすぎ。いろいろとタスクが増えてますが、なんだかんだでヘロヘロになりながら耐えてます。また、血圧高めで健康診断にあわや引っ掛かりかけたのでそれもガチ鬱です。てか何が原因でこんな太ったのか分かりません。マジ勘弁してくれや。

それでは今回は18きっぱーブログの続きです。もう一か月半も前のことで記憶があやふやですが、松江からスタートします。

すっかり雨も止んで松江の市街地に出てきました。雲も途切れそうな空模様で、午後はいい天気になりそうだなぁと思いつつ駅に向かいます。

 

松江の駅から18きっぱースタート。暇なので出雲市に戻ってやろうかとも思いましたが、来た列車は宍道行きでした。

木次線のキハ120が来ました。送り込みですかね?車内は学生が乗車率80%程度乗っている程度で平日朝とは思えないほど空いていました。しかし、ふと車窓に目をやると、宍道湖の湖岸に沿ってとんでもない長さの渋滞が発生しており、車社会を痛感させられました。あんな渋滞でマニュアル車なんか運転したくないなぁ、将来車を買うならオートマ車でいいなぁと心の中で文句を言いましたね。

列車は途中の玉造温泉に到着。対向列車の関係もありここで下車しました。

朝日が爽やかな玉造温泉の駅に到着です。幸先の良いスタートっぽく映りましたが、その後爆速で雨が降ってきやがりました。今回お天道様に嫌われ過ぎてない?なんか悪いことでもしたのかな、と顧みながら米子行きに乗車しました。

駅舎の写真はこちら。活気がない訳ではありませんが、駅舎の中は全体的に暗い感じでした。

米子行きには終点の米子まで乗車します。

地図や路線図で見ると大した距離はありませんが、気動車だからか、意外と遠く感じられました。てかキハ40系は今は亡きリゾートみのり函館本線の山明くらいしか乗った記憶が無いので、原型(に近いやつ)は初乗車だと思います。多分。

先の宍道行きとは対照的に、松江方面はかなり繁盛していました。学生に交じってスーツ姿のサラリーマンも見られました。体が触れ合うほどの混雑では無かったです。これが山陰の朝ラッシュなのかと思うと、日頃使う埼京線の殺人的な朝ラッシュがますます嫌になります。山陰の電車通勤(気動車ですが)はストレスがなさそうで羨ましいですね。一本乗り遅れたら命取りなのは怖いですが。さすがにカメラを振り回すほど空いていた訳では無かったので写真はないまま米子に到着しました。

米子駅前です。The・地方都市って感じですね。

一方の駅舎は現代的できれいなものでした。土産物店やコンビニもある程度広々としていて過ごしやすかったです。さて、米子からは境線を往復します。かなり乗継は余裕があるので、パシャパシャ写真を撮ってました。

乗り場に来ると境線の列車が待っていました。鬼太郎仕様のキハ40です。自動放送が鬼太郎、境線の各駅につけられた愛称の説明をネコ娘目玉おやじが担当しています。ちなみに「整理券をお取りください」関連の案内は標準仕様の自動放送だったのでまあまあ違和感がありました。てか1路線の自動放送で担当声優4人ってなんだよ。

サクっと境港へ移動。写真は復路で撮ってきました。

灯台を模した駅舎の境港駅です。終着駅の風情が感じられる雰囲気ですが、日本海側屈指の港湾都市であるはずなのに、港町の活気はそこまでないようにも見えました。とは言ってもこの背後には立派なフェリーターミナルの建物が聳えており、重厚な貫禄が感じられます。

境港市街の南端と勝手に思っている余子駅です。かなり可哀想な駅名というか、なんでこんな名前なのか気になって仕方がない駅名ですね。思春期に森羅万象有象無象を憎んでいた痛いオタクとかが名乗ったのでしょうか?とりま日本は少子高齢社会ですので、老人はまだしも子供が余るなんてことはそうそうないと思います。

余子を出るとすぐに高松町です。境線に乗ったことがある人はなんとなくわかると思いますが、境線の駅間ってかなり短いんですよね。もうこれ米子空港以南を県道沿いに移設してLRTとかにしません?あーでも駅前の道路ちょっと狭いか...

このタイミングで木次線の運休予報が耳に出たり入ったりしてたので、一応天気予報を確認。まあこのくらいの雪なら動いてくれるでしょう。さすがに。

弓ヶ浜です。鳥取県の西側のきれいな曲線を描いているあの辺ですね。ちょうどいい田舎の駅感が堪りません。と言ってもドラマとかアニメで出てくるほどの風情はありませんが...

河崎口です。快速列車が通過するそうですが、境線に快速なんてありましたっけ...?と思っていたら臨時はあるんですね...知りませんでした。勝手に昔の名残でそのまま放置されている表記かと思って写真を撮ってきましたが、現役の表示だったので驚きました。

後藤です。昔の急行型みたいな色したやつがいましたが、詳しいことは知りません。臨時かなんかで使うんでしょうか。

後藤は車両基地と車両工場を兼ねる後藤総合車両所が隣接している関係で、ここから米子までは電化区間となっています。と言っても電車は基本的に出雲支所が担当していて、こっちに入るのは稀とかいう話を聞いたことがあります。知らんけど。

という訳で米子に戻ってきました。個人的には鉄道路線の単純往復は好みではないのですが、境線は短いのでそこまで苦では無かったですね。ただ果たしてここが営業路線としてどれくらいの価値があるのかは疑問でした。富山港線みたくした方が沿線活性化するんじゃないかな。

キハ126はまたもスルーし、ここからは宍道まで一畑電車以来の電車に乗ります。

ゲテモノ末期色が来ました。行きは気動車だったので性能差を存分に発揮して欲しいところです。てかめっちゃ混んでました。

感想としては、加減速がスムーズな分、前後に揺さぶられるのが多く感じました。最近の電車は滑らかに動きますが、ぶっきらぼうでぎこちない加減速のため、よりその傾向が顕著だったのでしょう。てか山陰本線とはいえ、まさか平日真昼間に座れないとは思いませんでした。さて、宍道からは木次線に乗車します。特急も停まったり停まらなかったりする宍道駅ですので、駅前で時間くらい潰せるだろうと勝手に思い込んでいたのですが、ものの見事に何もなくてガン萎えしました。

コンビニが国道沿いにあるため少し離れてるのはいいとして、その国道沿いにもコンビニを除いてろくな店がないとは思いませんでした。

なんとなく昔のまちなみっぽいのが残っていました。観光振興をしてそうな感じはしませんね、とか言っちゃうと最近の観光開発担当者は電柱を地下に埋めるのが定石です。お前らの考えなんざお見通しだわってね。埋めるくらいなら建物の裏に隠すんで十分です。内子だかどっかがそんな感じでまちなみを残していたはずです。

宍道湖に出てみましたが風が強すぎて即撤退。かなり時化ていました。

なんかそれっぽい雰囲気の写真が撮れました。まだまだ木次線は入線してきません。

ぬこ...嘘だよな...

発車15分前くらいに宍道駅に戻りました。戻ったと言えなんかあるとは言えません。

入線前に特急がきやがりました。こいつにもオタクが格納されていたので面白かったです。たかだか数駅なんだからその手前の普通で来いよ。

という訳で着席成功。ここから山を越えて広島の山奥の片田舎まで3時間半くらいです。学生10数名とオタク3名で出発です。学生は大体木次と出雲大東で入れ替わり、出雲三成出雲横田でほぼ降り、八川で全員が下車しました。大体こういうローカル線は学校から乗ってきた学生を親の車が待つ別の集落に輸送するのが役割というもんです。まるで持続可能性が無いですね。こればっかりは沿線自治体に頑張ってもらうしかないのですが、このご時世、札幌や仙台ですら地方都市扱いされてることもあるのに、山奥の農村がどう頑張れというのでしょうか。一方で東京都心はそろそろパンクしそうな勢いです。そろそろ地方へ回帰する頃合いでしょうか、と思いきや今はドーナツ化現象の頃合いです。浦和や船橋、立川なんかが一番活気づいてるんじゃないですかね。都心外縁から郊外にかけてが一番人で賑わっているのではないでしょうか。娯楽どころか友達とも遊ぶ時間が制限されそうな生活スタイルだなぁと想像しました。子育ては田舎で、と言ってこういう場所に移住する若いカップルがいたりいなかったりするそうです。地方としては嬉しいでしょうが、果たしてそれが生まれてくる子供の幸せになるのかはまた別の問題でしょう。

木次線はずっとこれです。スマホを握る気も起きず、ぼーっと車窓を見ていました。木次線は必殺徐行のオンパレードなので、一般の道路を行く車に抜かれていきます。それこそ先の駅で降ろした学生を拾った親の車と思しきものに抜かれていくのですから、さっさとBRTにでもしちゃったほうが輸送効率は上がるような気もします。マジでこの時代に鉄道にこだわる理由って何なのか考えさせられました。

てか木次線なのに木次駅の写真なかった。ちなみに古代朝鮮語で「村」のことを「スキ」と言ったので*1、「木次」は「木村」と同じ意味だと思います。

奥出雲町の大きい集落の1つ、三成に着きました。実は国道が交差する交通の要衝で、道路では宍道、福山、松江、安芸津に通じています。木次線の意義が薄れそうな到着地のラインナップです。しかも安芸津方面も三次を経由するので広島市へも意外とアクセスがいいのが強みです。そりゃ急行ちどり消えるわ。

で、たぶん314号だと思いますが、無駄に高規格です。そんな道路作らなくても木次線なんか簡単に捻り潰せるだろうに。

ですがこれはおそらく自然と戦うための装備です。崖が崩れたら大変だもんね。広島とか福山から松江だと多分これが最短なので、物流が滞るとかあるんですかね。でも三次から高速道路が延びてたような気もするんだけどな。

日本人を悩ませる杉の木が多く生えています。檜かもしれません。しらん。私は花粉症ではないのでいくら生えててもらっても構わないので、ぜひ日本各地で公開オナニーを頑張って、あらゆるものにその精子をぶっかけて欲しいものです。と言うと、植物のセックスに人間を巻き込むなとか言い始める花粉症のオタクもいるらしいですが、オタクだってシコった後に木からできたティッシュに射精してるんだからお互い様です。大人しくマスクとメガネで対策するのがおすすめ。

もう一つの集落の横田に到着。たたら製鉄で栄えた町です。近くを流れる斐伊川が砂鉄を含んだ川なんだそうですね。で、こいつがなかなかの暴れ川らしく、太古の時代から洪水しまくってたそうです。八岐大蛇伝説はこういう水害が根底にあるとされています。竜って水の神だしね*2

まだ一時間くらいこいつに揺られる必要があるのできついです。もうあと5駅くらいだった気がするんだけど...

田舎の駅あるあるの無駄に広い構内もしっかりと確認しました。オタク三人だけを乗せて備後落合行きはいよいよ本格的に山越えに挑みます。が、モバイルバッテリーを充電し忘れたせいでスマホの充電も大ピンチになりました。本日の最終目的地である太平洋側の福山まであと30%で耐えなくてはなりません。地獄かな?

八川きたあああああ

坂根に着きました。スイッチバックの駅です。ここと隣の三井野原の間はたいして離れている訳でもないのにアホみたいな高低差があるので、木次線スイッチバックで、314号はループ線で勾配を這いずり上がります。

虐待みたいな高低差を登り切って、JR西日本で一番高い位置にある駅だった気がする三井野原に到着です。

峠というのは文字通り登り切っちまえばあとは下るだけなので、ここからはキーキー騒ぎながらブレーキを利かせて走ります。

ようやっと広島県に入って油木です。ゆきで思い出しましたが懸念材料だった雪は粉雪が舞う程度で済んでました。まあここからそこそこ強めに舞ってたんですけどね...

備後落合では10分ちょいの接続で芸備線に乗り継げます。駅舎を取ったりしたかったですが、クソ寒かったのでさっさと車内に籠ってました。私の特性はマジックガードではなくてあついしぼうなので、残念なことにあられのスリップダメージが入ってしまうんですよね。

ここからは三次に向かって進んでいきます。旅程をいじくって新見に出てもよかったっちゃよかったのですが、たぶん芸備線の新見側より福塩線の方が乗らなそうな確率が高かったのでこっちに行きます。新見に行けば「岡山の県北」とか「ゲイビ線」とか備中神代から先なら「1919年8月10日開通」とか言って汚い話題で盛り上がれたんですけどね。私は高潔なオタクなのでそんなことしません。

はい必殺徐行。チャリでもスピード違反するわこんなん。ここ一帯には都会の鉄道路線のようなまるで無敵の強者感はなく、舞っているのは激しい闘志ではなく雪で、レフトもライトも山ばっかです。嵐を呼んで地を揺らしてしまったら長期運休待ったなしなのでこんなゴミみたいな運行をしているのでしょうか。

ビバ田舎のドカ窒素を乗せたギガ気動車比婆山に到着します。あのネタ割と嫌いだったんですが、権利関係で怒られたらしくてゲラゲラ笑いました。

西城川に沿って進みます。いい緑色してました。

引くほど充電が無いので備後庄原の手前だかで撮った(はず)の川をどうぞ。木次線とはだいぶ時間が離れましたが、ここいらも学生が多く、沿線の学校の時間割が気になるところでした。

一気に飛んで三次です。松江以来の都市っぽい都市に来ました。人口は4.7万とかなりの規模です。いや都市としては普通かちょっと小さい規模なんでしょうが、丸一日山の農村を走ってきたのでめっちゃデカい街に見えました。それこそ上越新幹線谷川岳を越えて高崎に戻ってきたかのようなね。

ここからは府中行きで南下します。都内まで帰れそうな響きですが、地図で見ると何とも微妙な位置にあります。

ちなみに充電ないのでほぼ写真ないです。充電ないし真っ暗でなんも見えなかったし。仕方が無いので車内の人間観察をしてました。部活帰りっぽい学生、福山からヤコバでどっか行くであろうデカい鞄の若いおねーちゃん、三次から乗って何もない駅で降りていく謎属性おばあちゃんが乗ってました。若いおねーちゃんが編み物をしてたのが印象的でしたね。編み物やってる人初めて見た。

暗すぎてどこだかわからないけど備後安田だったかな?写真で分かるかと思いますが、車内から漏れ出ずる明かり以外ろくな明かりが無かったです。怖かったなぁ。

甲奴駅には鉄板焼き屋が入居しているそうです。機会があったら来てみたいものですが、たぶん鉄路で来るのは厳しいでしょう。なんてったって福塩線だし。

府中に着きました。車両のメタリックな色が夜の駅に似合っていますね。

競馬場とかがあるような気もしましたし、ここから新宿に出ちまえば始発で座って大宮まで帰れるはずだったのですが、どこを探しても京王線が見つかりませんでした。仕方が無いので黄色い電車に乗って南下します。関東民なので府中から南に行くには南武線に乗るもんだと思っていましたが、引き続き福塩線です。

ワンマン運転ですが、運賃箱見張り役の車掌さんが乗務していました。じゃあツーマンじゃねえか。

座席が埋まる程度に人が乗って二両編成の福山行は終点に到着します。コンコースに出ると、学畜社畜の皆様方の大敵、電子遅延証明書の案内が出ていました。紙の配布は取りやめたそうです。鉄道会社はこうしてペーパーレス化を推し進めていますが、大半の企業や学校はカスなので紙の証明書しか受け付けないそうですね。ほんとそういうの意味わからねえわ。さいがきも大学に川越線の電子遅延証明書を見せて本来欠席扱いの1時間の遅刻を遅刻して出席の扱いにしてもらおうとしましたが、大学から遠く離れた川越線の電子遅延証明書は受け付けてもらえませんでした。しっかり強風で大宮川越間で遅延してたはずなんですけどね。こんなことなら駅員に催促して紙出させればよかったわ。

福山に到着したところで18きっぷ1日目、おでかけはサンライズから換算して3日目が終了しました。翌日は丸一日かけて帰宅します。

 

宿の写真はありませんがめっちゃきれいでした。リピート確定ですね。

それでは長くなりましたがここいらで締めたいと思います。また間は空いてしまうと思いますが、気長に待っていただけると幸いです。GWに出せたら出しますので!それでは!

*1:教科書にも出てくる663年の白村江の戦いは「はくすきのえのたたかい」と読むのも根拠です。

*2:日本神話の水の神である「オカミ」は「龗」とも書き、これは古い中国語では「竜」を意味します。