天鵞絨色のエトセトラ ~Velvet-colored Etosetra~

天鵞絨色のエトセトラ ~Velvet-colored Etosetra~

課題レポートより頑張れている気がします。

日進月報 2024/3

お疲れ様です。さいがきです。ぼちぼち就活が始まる頃になりました。鬱です。さいがき的にはDMC方面に進みたいので勉強頑張ります。さて、春が始まったのか冬が引き伸ばされてるのかわけわかめな気候ですが、新年度も風邪を引かずに頑張りましょう。

 

 

3/1-2 18きっぱー

西日本から必死こいて帰ってきました。そのうち記事が出ます。

 

3/4 成績発表

学期GPAを3点台に乗っけました。神です。

自分でもここまで取れるとは思ってなかったので良かったです。

 

3/10 関東ビッカメ巡り

柏たんのアクキーが欲しかったので柏に突撃しました。なおもらえずじまい。名刺だけ頂いて帰りました。

その後は八王子に移動してはち娘ver.の八王子たん名刺を頂いて帰りました。

むさしの号がいましたが逃げられたので八高線へ。なお次のむさしの号を待った方が帰宅早かったっぽいです。

久しぶりの川越西線でした。のどかでいい雰囲気でよかったです。機会があればまた乗りたいです。

 

3/13 東京北部さんぽ

また二郎に拉致されました。池袋東口です。

リア友と合流

ヤサイニンニクバジマヨフライドオニオン

まぜそばにしました。めちゃんこきつかったです。腹がはちきれるかと思いました。味は美味しかったです。でも二郎系は月一が限界かな...

その後は庭園に行ったりアキバに行ったりしました。

 

3/21 栃木

暇だったんで日光に御朱印巡りに行ってきました。

地震で電車止められて最悪です。快速ラビットに乗ったのに宇都宮まで2時間かかりました。

下野国一之宮の2社をお参りすることにします。まずは宇都宮の二荒山神社

北関東最大の都市の宇都宮市です。何気初めて降り立ちました。

宇都宮ともう一つの二荒山神社は日光にあります。続いてそちらを目指していきます。

風が強かったので途中で電車が止まったりしながらなんとか日光に着きました。

杉が有名な日光ですので、花粉症の方は行かない方がいいかもです。

輪王寺にも顔を出しました。

東照宮です。前に来たときには陽明門が工事中だったので何とか再訪できてよかったです。

眠り猫や三猿も見れました。鳴き龍は課金なのでまたの機会に行きます。

日光二荒山神社です。日光は「ふたらさん」で宇都宮は「ふたあらさん」と読むそうです。ちなみに「二荒」の「にこう」が訛って「にっこう」となり、「日光」の字があてられたそうです。

かわいい...

んで酒買って帰りました。

 

3/26-27 天童温泉

天童温泉DMCさんのモニターツアーに参加してきました。天童のまちについて知ったり温泉を楽しんだりしてきました。最後に山寺に登れたのもいい思い出です。

なすのパイセン

天童に降りたのも初です。将棋駒のまちと思っていましたが、温泉が湧いてるのは意外でしたね。

翌日は山寺に寄り道して帰りました。まさか雪に降られるとは...

名物のゲソ天です。タレとの相性も抜群でバチ美味しかったです。

ずんだシェイクです。美味しかったです。なんで今まで飲まなかったんだろう...

 

3/29 飲み会

ブクロで飲んでました。

副都心線に乗りました。へんないきものが行先に表示されてて面白かったです。

 

総括

西へ東へ忙しい一か月でした。安定の素寒貧ではありますが、来月からまた大学で時間を搾取されるのでお財布は温かくなるといいな~...

それでは来年度もよろしくお願いします!

僕らはゆっくりと忘れていく ~2024春 18きっぷ1~

お疲れ様です。さいがきです。去る3/16はダイヤ改正でしたね。私は北陸新幹線が延びようが山形新幹線に新車が入ろうが別にどうでもよかったのですが、京葉線の通勤快速廃止はちょっと注目しましたね。だって混雑の均等化とか言ったら埼京線だって通勤快速が廃止されかねないじゃん。まあ埼京線は各駅停車も戸田市でしっかり客を乗っけてくれるので、通快廃止したら苦情殺到だと思いますね、主に武蔵浦和の民から。まあ今のところは「クソワロタ」とか「可哀想」くらいのカスみたいな感想に留めておきましょうか。そのうち埼京線の通快も消えるだろうからね。

さて、リア友と伊勢に旅行したついでに伊勢市駅18きっぷを購入しました。

こいつを握りしめておでかけを敢行することにしました。まあ伊勢の神宮にお参りしたならば、次は出雲杵築の大社にお参りしたいなぁ、ということで次の行き先は出雲に決定。それでは始発から頑張って西を目指して進んで

 

行きはサンライズに乗ります。18きっぷ出雲市なんかを目指すのはクソだるいので*1

てなわけで適当にe5489叩いたらノビノビに空席があったので予約を取りました。寝台と違ってノビノビ座席にはコンセント無いのでしんどいですが、モバイルバッテリー酷使とポケパルレで乗り切ろうと思います。モーターがうるさいとかいう話は聞きますが、上段を勝ち取ったので、多少は眠れるでしょう。

まずは酒をぶち込みます。赤い氷結です。普通においしかったです。限定じゃなくて通年販売にしてくれませんかね?

車内は狭いので、車内探険をするのも一苦労でした。

想像はついていましたが、車内で人とすれ違うのも難しかったです。まして私のようなデブは買ったスペース以外の場所に出向くのはマジで向いていません。本当に。シャワーに行くのもきついよ。

なんとか自分のスペースに戻り寝ました。よく「サンライズに乗るとテンションが上がって眠れなくなる」とかいうオタクを見かけたりしますが、私は酒パワーもあって、熱海あたりで普通に寝ました。一瞬蒲郡あたりで起きましたが、京都まではほぼほぼぶっ通しで寝てましたね。大阪ついて頭が回った感じだったかな。

三ノ宮です。まだギリ東海道本線ですね。神戸はまだ港に行けていないので、早いところ再訪したいです。忘れないうちにね。

山陽本線に入って姫路に到着しました。時刻表の上では浜松以来の停車駅かな?私は丹那トンネルに入ったあたりから記憶がほぼないのであっという間に感じられました。姫路からはラウンジに移動し、シャワーを浴びました。意外としっかり浴びられるほど時間はありますが、水圧がお察しなのでなかなかシャンプーが落ちませんでしたね。あと前の人が散らかして帰りやがったのでそこはいただけませんでした。シャワーカードを勝ち取った人に利用の権利は限られるとはいえ、このシャワーも超広く言えば共有財産という自覚を持って欲しいですね。

てかこれに関しては私がシャワーを浴びに行ったタイミングもよくない*2と思いますが、揺れるし滑るしシャワー浴びるの大変ですね。しかも脱衣所寒いし。快適かどうかと言われると疑問符がつくような感じでしたね。

岡山の解結はぶっちゃけどうでもいいので車内でポケモンをいじって寝てを繰り返しました。

すっかり朝になって高梁川の川面の緑を楽しみます。このままぼーっと眺めていたら新見でまた寝落ちしてしまい、起きたら伯備線はほぼ終わってました。

伯耆大山駅らへんです。大山がきれいに見えました。曇ってて輪郭がはっきりしませんが、一際目立つ綺麗な山の形は窺えますね。安来で島根県に入り、コンタクトを入れるなりなんなりして支度してたら車窓にはすっかり宍道湖の風景。

うーん天気ゴミ。天気予報も微妙だからあんまり期待はしていませんでしたが、これは普通に鬱です。

出雲市に到着しました。今度来るときは絶対に寝台で来たいですね。ノビノビは体が痛すぎて無理でした。サンライズ未乗オタクがどれくらいこのブログを読んでいるのか知りませんが、乗るんだったら寝台粘れよと伝えたいです。雑魚寝は文字通り雑魚の寝方です。文明人が自ら進んで行う行為ではありません。

出雲大社を模しているような気がする駅舎です。綱なり神明造採用するなりしてもっと寄せてくれるとオタク的には嬉しいです。

コンビニで買ったパンをかじりながらバスを待ちます。意外と長蛇の列でしたが、前の方に並べたおかげでバスでは座れました。出雲市駅から出雲大社正門前までは40分弱でした。意外と遠いなぁというのが本音です。一方で、めちゃくちゃ混んでて圧迫感がつらかったです。

てなわけで到着です。駅から神社までほとんど客が動かなかったのでしんどかったです。ちなみにこのタイミングで風が強まって、雨も降り始めました。多分出雲の神様が私に来るな、帰れと言っているのでしょう。うそ~んやめて~。

なんとなくどこかで見た雰囲気の鳥居前です。どこだっけ、思い出せない...

それではいよいよお参りします。

参道は松の植わった道です。中央は松の保護だか何だかで通れませんでした。実際そんなに土ががっしりしている感じではなかったです。根が浅いんかな。

出雲神話のワンシーンの像もあります。出雲神話に馴染みのあるオタクはいないでしょうからスルーします。ちなこれ思いのほかデカいです。

拝殿です。馴染みの注連縄も拝めます。ここは二礼二拍手一礼ではなく二礼四拍手一礼なので、普段通りの参拝をするともれなく異教徒案件です。ちなみにこれは大和朝廷が出雲に攻め込み、併合した際に、大国主の怨霊を封じ込めた神社なので、大国主をしっかり死者の国に弔う意味を込めて四拍手と言われています。ちなみに伊都国を中心とした北九州政権の宇佐神宮*3と後の古志国を含む北陸政権の弥彦神社*4も四拍手です。多分そこいらへんの土地も大和朝廷が攻め込んだんでしょうね。ほんまおっそろしい奴らやで...

本殿には足を運べないので八足門からお参りします。ここも四拍手。

その後は垣の周りをぐるっと巡って、御鎮座正面や摂末社にもお参りしました。天気も天気でなんか異様な雰囲気です。風も吹きすさんでいてあ~神の国だなって誰しもが思っていたに違いありません(断言)。

なかなか来れる場所でもないので御朱印だけでなくお守りも頂きました。

ド平日だし雨だしで空いていてよかったです。今度はちゃんとお礼参りできるようにしたいですね。

帰り道にもいろいろと面白いものがあったので写真を取ってきました。

ウサギです。ここの祭神である、大国主が助けたとされる白兎です。白兎と大国主と言えば因幡の白兎ですね。まあここは因幡ではなく出雲ですが*5。そういえば中学生くらいまでスーパーはくとの「はくと」が「白兎」っていうことに気付きませんでしたね。

酒を仕込むウサギもいます。かわいいですね。出雲では弥生時代から日本酒が造られていたようで、神話上でも出雲の酒が登場します。八岐大蛇を討伐する際に八岐大蛇に大量の酒を飲ませることで、酔わせたうえで討ったシーンがありました。日本酒誕生の地出雲、神話の時代からアルハラをやってたんですね...

その後は駅っぽさがなくて普通に気付かなかった出雲大社前駅を見たり、

出雲阿国像を見たりして道の駅まで歩きました。歌舞伎踊りの人です。中学校の社会で歴史の授業を聞いていれば知っている名前だと思います。この人、出雲大社の神前巫女であったのにもかかわらず、最終的には出家して仏道に入ったらしいです。神仏習合だねって思うかぐう畜で草と思うかはお任せします。私は後者です。

で、道の駅では出雲そばを頂きました。

シジミごはん付きでした。美味しかったです。薬味は全部乗せで、蕎麦湯の分も計算して食べ進めるのがおすすめです。

酒も買いました。いい加減家に酒が貯まりまりまくってるので早いところ飲みたいですね。それともオタク飲みに来る?

出雲には温泉のイメージはあんまりありませんが、こっちにも温泉スタンドがありました。恐らく私が使う機会は来ないでしょう。

そして続いて出雲大社からバスに乗って日御碕神社に行きました。伊勢の神宮が日本の昼を守る神社で、こちら日御碕神社は夜を守る神社と言われています。朱色のキレイな本殿も見ものです。

普通に大雨&強風でコンディションは最悪でした。

で、日御碕神社にお参りしたのですが、スマホをバスに置き忘れたので写真がありません。ググってください。ちなみに帰りのバスが行きと同じバスだったので帰りに回収しました。

行きたい場所にはすべて行けたので、一畑電車松江しんじ湖温泉を目指します。ゆっくり寝ようと思いましたが、川跡で乗り換えだったので無理でした。この駅は1番線より駅舎側に4番線がある変な駅です。

使うことはほぼないらしいので困ることはないんじゃないかな。ちなみにここは昔斐伊川が流れていたから「川跡」という地名らしいですが、今も川跡の近くに斐伊川が流れているのでよくわかりません。なんなんだろうね。

平田市雲州平田あたりを除いて、基本的に布崎までの車窓はこれです。つまんないね。

雲州平田には車庫もあります。車両のバリエーションが豊富で見てるだけで楽しいですね。

気付いたらAgodaの待遇がPlatinumになってました。宿代が若干安くなるのでありがたいです。それより充電がピンチ。

一畑口あたりで真っ暗になりました。いよいよ暇です。まだまだ宿までは遠いんだよなぁ...

ちなみにスイッチバックでしたが、面倒くさいので座席は動かしませんでした。周りも動かしてなかったしね。

着きました。で、宿があるのはJR松江駅前。しくじりましたね。興味で動いたのは完全に失敗だったと思います。しかも雨だし風強いし寒いし最悪のコンディションでした。傘ひっくり返ったもん。

でも街並み綺麗だったからまあいいかな。写真だと明るいけど、実際は宍道湖のせいでめちゃくちゃ暗いけどね。超怖かったです。

やっとこさホテルに着いた時はマジで嬉しかったです。ビジホに着いただけなのに無駄に達成感がありました。あとフロントの女の人がめちゃんこタイプだったので眼福でした。まあホテルを堪能する間もなく、シャワー浴びて飯食ったらそのまま吸い込まれるように寝てしまいました。22時くらいだったと思います。

 

という訳で18きっぷ編パート1でした。18きっぷは翌日からじゃないと使えないので実質パート0です。これで島根県鳥取県の上陸に成功、本州はあと石川と福井で全県上陸ということになりました。北陸新幹線が延びたのでそのうち遊びに行きます。

出雲大社もきちんとお参りできてよかったです。本当は伊勢の神宮と並んで20になる前に行きたかったです。伊勢参り翌週ということで日御碕神社に行ったタイミングも完璧でした。神道してるなぁって感じで楽しかったです。スマホを落とさなければ日御碕神社の写真も添付できたのですが、貼れないのでまた行かなきゃですね。行くなら晴れの日を狙います。

さて、それではここいらで締めます。次回からは18きっぱーパートになります。よろしくお願いします。それでは!

*1:きっぷの日付を見ると一目瞭然ですが、18きっぷは3月に入らないと使えないので、どっちみちこの日の始発に乗ろうが18きっぷは使えません。

*2:シャワー待ちがあったので、上郡周辺でシャワーにありつけました

*3:宗像三女神

*4:天香久山命もしくは大彦命

*5:出雲政権は因幡に当たる地域も支配していたとされています。

ああ冬の温泉 氷結肩までつかる ~2024冬 長野2~

お疲れ様です。さいがきです。教習所で精神すり減らしまくって最近ずっと寝てます。マジで日付変わるくらいに寝てます。

さて、長野旅行の続きです。長野電鉄に乗ったところから始めます。

劣化版田園都市線は地上に出ると二子玉川ではなく本郷駅に到着します。のどかな雰囲気ですが、しっかり複線の長野の近郊路線として、通勤通学を支えています。

信濃吉田駅北長野駅にも近く、ここを出ると新幹線及びしなの鉄道と交差します。新幹線をくぐりながらしなの鉄道を跨ぐという地上の鉄道による多階層の交差は、都心部でもなかなか見られるものではありません。生憎しなの鉄道の車両は来ませんでしたが、もし同時に差し掛かることがあるならば、写真映えするスポットになり得るのではないでしょうか。

朝陽駅に到着です。人名みたいですね。長野電鉄内の複線区間はここで終わりとなります。

さてまだまだ進んでいきます。住宅の裏手を走っていく、生活感のある風景になっていきます。

長野市から須坂市へと渡る橋である村山橋は、これまた珍しい鉄道道路併用橋です。供用開始は2009年と15年ほど前であり、比較的新しい橋です。その時代になると架け替えに際して鉄道と道路は分離されそうですが、なんだかんだで残されました。決め手は何だったんでしょうかね。まとめて架橋した方が安上がりだったんでしょうか。また、案外知られていませんが、ここは長野電鉄初のロングレール区間でもあるそうです。要は15年くらい前までは全区間定尺レールってことですよね。門司港駅舎とか厳木の給水塔とかもレトロで趣深いですが、私的にはこういう些細な設備とかから感じる古めかしさの方が癖にピンズドかもしれないです。

そのまま電車は須坂に到着。かつてはここが長野電鉄長野線の終点で、ここからは長野電鉄河東線だった区間に入ります。一応長野からよりもさらに古い線区です。というか須坂から中野までが一番古いです。かつては国鉄から屋代経由で須坂を通り湯田中行きの急行があったようななかったような気がしますが、大宮から一本だった時代もあった(かもしれない)と思うと意外と近場に感じられます。それでは信州中野へ向けてもう少し進みます。

沿線にも果樹の農地が目立つようになってきました。長野県はリンゴやブドウやクリの産地としても知られていますが、思い返せば今まであんまり果樹農園を見ていなかったような気がしたので忘れていました。しょうがないね。

小布施です。帰りに寄ったのであとでくどくど話したいと思います。

信州中野です。木島方面の分岐駅でした。ちなみに路線的には本来湯田中方面が分岐側です。ここからは旧山ノ内線に入っていきます。

ちなみに化けの皮が剥がれた駅名表もありました。2002年には中野北駅、というか通称木島線の区間が廃止されているので、私よりも年上の駅名表ですね。いつからナンバリングしてるかは知りませんが、ナンバリング貼ってから剥がれたんでしょうか。

さて続いて乗る電車がこちら。

うん、日比谷線だね。さっきのは田園都市線だしこれ日比谷線だし、たぶんここはスカイツリーラインかなんかでしょう。なんとなくせんげん台で急行から各停に乗り換えた気分です。うん。いや別にいいんですけどなんか新鮮味ないなぁと。

なんかの山です。高井富士っつったかな?よませ温泉リフトが通ってるはずです。知らんけど。

多分信濃竹原駅です。板張りのホームがいいですね。ここは一線スルーの構造ですが、たぶん関係なく右側通行になっています。なんでかは知りません。

ものすごくメトロを感じます。日比谷線の非定期行き先って言ってもワンチャンバレません。

ということで湯田中に着きました。

 

こんな感じの行き止まり駅で、今は使ってない方には旧ホームが残っています。駅舎には温泉がついているのですが、私はそれに気づかず温泉を探しに山を下りました...

駅前は特に温泉街という雰囲気でもなく、どちらかというと、ホテルの送迎や観光バスを待つ人で賑わっており、スキーリゾートの玄関口って感じでした。志賀高原とか渋峠も近いですしね。私はあまりスキーはしませんので、たぶんこのシーズンに志賀高原を目指すことはないでしょう。

眺めがいい場所に出ました。かなり高低差がある土地なのがよく分かります。実際ここは夜間瀬川にかなり削られた土地ですので、ちょっと歩くだけでも後ろを振り向くとめっちゃ坂みたいな場所が多かったです。

シャッター商店街です。これに関しては特段珍しくもないですね。ただやはり看板のフォントとかはやっぱり30-40年くらい時代に取り残されているような気もします。

一通りぐるっと回ったら(迷子になったら)駅に戻って温泉タイムです。歴史ある建造物ではありますが、内装はしっかりきれいな建物でした。

お湯の温度は高め、というか掛湯しても爆速でのぼせました。何度あるんですかねあのお湯。心臓にめちゃくちゃ負担がかかったのか、上がってからもしばらく心臓が痛かったです。まじで死ぬかと思いました。露天の方がまだぬるいのでそちらをおすすめします。あと意地張って長湯するな。

出てきたら帰りの電車が来ていました。この特急ゆけむりで小布施に向かいます。

前の章でも言いましたが、長電のフリーきっぷは自由席特急券込みのきっぷなので、ゆけむりだろうがスノーモンキーだろうが自由席車両の空いている座席に座れます。神かな?

ようやく折り目を見つけてきっぷを半分に折りました。遅いよ。

車窓は山に開かれた小さな集落を望みながら移ろっていきます。扇状地だったり、そうじゃなかったり、やっぱり扇状地だったり様々です。確実に言えるのはこういう地形の場所は果樹栽培が盛んな事なので、リンゴやらクリやらブドウはこの辺り一帯から全国へ出荷されているのでしょうか。

小布施では特急同士の行き違いが行われます。こう見ると壮観ですね。駅も一瞬ですが賑わいを見せます。

電車が出ていくとがらんとしてしまいました。趣のある待合室がいい雰囲気を醸していますが、まあどんな印象ですかと聞かれたら、皆さん異口同音に「寂しい」「空しい」と答えるのではないでしょうか。

しかしここで降ったり止んだりしていた狐の嫁入りが去り、晴れてきたのは朗報です。

誤字ではなさそうですが、この「おぶ也」表記は何なんでしょうかね。少なくとも私が知る限りでは「せ」の書き換えで「也」を使っているのは見たことが無いので、なんか知ってる人教えてください。多分布施だけに也は無いと思います*1

いい天気になりました。実は当日は雨予報だったので、私の日頃の行いは素晴らしく良かったのであろうと勝手に思い込んでおきます。

小布施の観光エリアを巡るには少し時間が足りなかったので、駅前と酒屋と和菓子屋をつついて終わりましたが、それだけでも随分魅力的なまちでした。クリが有名ということで栗あんの最中を買って帰ったのですが、それがめちゃくちゃおいしかったのでみなさんもぜひ。それだけでもまた行きたいと思わせてくれました。

あとはどう考えても私有地みたいな歩道もありましたね。歩いていいのかめっちゃ不安でした。

酒蔵でした。買うか悩みましたが、小布施ではワインを買ったのでここではパス。しかし結局長野駅で新幹線の待ちの間に大雪渓を買ってしまいました()

北斎館の方にも行きたかったですが、また次の機会って事で。旅の楽しみは取っておくのがおすすめです。また来る理由になるしね。

信州五岳なるものが見えました。まず一番左が飯縄山です。テングノムギメシという微生物が大量に住んでいるらしく、砂が食べられるので「飯砂」が変わって「飯縄」です。ちなみに観光地としては「飯綱」を採用しており、山の名前は「飯縄」なんだそうです。

続いて雲でほとんど見えないのが戸隠連山。神話の時代にアマノタヂカラオがアマテラスの隠れた天岩戸の扉の岩をぶん投げた結果、破片がここまで飛んだらしく地名が戸隠になりました。なんちゅうパワープレイだよ。長野市内にも天岩戸(と伝わる穴)はありますが、神話と辻褄を合わせると高天原からぶん投げてるので、通常の完成の人間なら神話が国の始めの話ではなくただの面白SF小説なのが伝わるのではないでしょうか。てか高天原ってどこだよってね。

戸隠の隣は黒姫山竜神と結婚させられた高梨氏の娘、黒姫がいると伝わる山です。竜神と結婚して山に行ったって書けばまあなんとなくわかりますけど、いっちゃあ水害がひどいから人柱にされた、もしくは自らなったと取ることもできるわけですので、これだから地名の由来はやめられません。まあ昔の北信地方は水害がひどかったのでしょうか。千曲川もたびたび溢れていますし、それに基づく創作でしょう。

続いて画像一番右が妙高山。北信五岳で一番高い山です。名前も「妙に高いから妙高山」という由来です。

と思っていたのですが、どうやらこの山は仏教徒から須弥山に準えられていたようで、「越の中山」から二次佳字政策で「名香山(みょうこうさん)」、そして須弥山の日本語訳「妙高」をあてて今の山の名前になりました。要は外来語です。

そして最後のこいつがぼっちの斑尾山です。ここまで総じてスキーで有名ですね。こいつは北信五岳でブッチギリの低身長で、た○かなに言わせれば人権の無い山なのですが、小布施や中野から見れば他と大して差が無いのでなんとなく北信五岳に数えられています。そういえば童謡「ふるさと」に出てくる「うさぎ追いしかの山」はこの山だという説もあるらしいですね。近くを走る飯山線の観光列車「おいこっと」が「ふるさと」の世界観を大切にしていることから、何となく合点がいく説なのではないでしょうか。

写真忘れましたがスノーモンキーで長野に帰り、適当に入ったスーパーマーケットで中野の写真を見かけました。それはまだしも英字新聞とはいえなんで主役がゴンザレスやねん。

このタイミングでもう一雨来たのでダッシュ長野駅に帰りました。

そういえば昼間に着いた時に駅舎の写真をちゃんと撮っていなかったので夜景ですがパチリ。夜になるとますます存在感がありますね。

酒2本買って新幹線に乗りました。友達のおつかいで買った「西之門」と、オタクが太鼓判を押してた「大雪渓」です。

どっちも吟醸酒だけどいいよね。後々飲みましたが、友達が土産に買った酒よりも大雪渓にハマりやがって俺が飲む分がほとんどありませんでした。今度会ったら金を取りたいですね。

夜の新幹線は、駅間が長い分、まち明かりが少ないと不安になります。これは篠ノ井のあたり。

上田です。行きのときも言いましたが、やっぱかなりの大都会です。

帰りの便は本庄早稲田以外の全駅に停車する便でした。散々こき下ろした安中榛名にも止まります。本当にこの時間いる?

高崎かどっかです。これくらいの明かりは「帰ってきたなぁ」になります。まあ私が田舎者なのもありますが、これくらいがちょうどいいんです。

ニューシャトルが見えてくるといよいよ現実に引き戻されます。あっという間に帰ってきたんだなぁ...と思うとかなり感慨深いです。鉄道唱歌の神戸の項の最後は「人に翼の汽車の恩」とかうたわれていますが、ここまで来るともう翼っていうかロケットエンジンですよね。

大宮に着きました。ほんまかっこいいなこの新幹線。マジで愛してる。

で、最後に13時間ぶりくらいにJRに金を払って日進に帰宅しました。かかった交通費は長野電鉄のフリーきっぷと日進大宮間の往復のみ*2コンビニで買った大雪渓の方が高いという衝撃の結果で終わりました。嘘でしょ?ところがどっこい嘘じゃありません。

 

という訳で前半の反省を活かして端折り気味でお送りしました。ポイントって便利ですね。酒一本分でこんなに楽しい旅行ができたんだから私としても大満足です。長野電鉄も初めて乗りましたが、静かでのどかな景色とリゾートで賑わう景色の二面性を肌で感じることができました。やっぱスキーリゾートは活気があっていいね。外国人も多く、ウィンタースポーツで北信地域をもっと盛り上げられたらさらに面白くなりそうだなぁと思いました。さすが長野。オリンピックをやってるだけある。

 

ということで今回はこの辺りで終わろうと思います。ここまでお読みいただきありがとうございました。それでは!

*1:御布施金○○円也のアレ

*2:お土産と交通費を除けば湯田中の温泉の入湯料600円しか払っていません

日進月報 2024/2

お疲れ様です。さいがきです。月末用事が詰まっているので月報先出しします。寒かったり暑かったり風が強かったりクソみたいな二月でしたね。ですが、それなりに遊べたので個人的には楽しい一か月でした。

 

 

2/5 根津

用心棒 本号でガリマヨ充填してから根津神社に行きました。クソ雪降ってたのでエモかったです。

ガリマヨは定期的に摂取したくなりますね。

そのまま適当に歩いて根津へ降りましたが、一旦千代田線で新御茶ノ水へ。湯島聖堂に行きました。

そして神田明神で甘酒をすすります。

甘くて温かくておいしかったです。優勝しました。

ようやく根津神社に到着。ドカ雪だし友達いたしであんま写真はありません。あと御朱印も寒くて頂きませんでした。

ツツジの名所の根津神社はもはやいつからあるかもわからない古社で、スサノオノミコト、オオヤマクイノミコト、ホンダワケノミコトの三柱を祀っています。

紅白の対比が美しかったです。

そのあと電車が止まる前に帰りました*1

駅前も真っ白で圧巻です。

マジ寒かったです。勘弁してください。

 

2/7 ポケモン

グレイシアかわいです。永遠にポケパルレしていました。なかよし度5まで頑張りました。

 

2/8 スタバ

バイト終わりにスタバに行ってきました。

オペラのブラックです。個人的には白が好きです。

そのあと渋谷に行ったら天窓が割れていました。年一くらいで渋谷のビルの窓ガラスが割れているように感じます。大丈夫なんでしょうか...

 

2/11 関東ビッカメ娘めぐり

毎年恒例のビッカメ案件消化をしてきました。武蔵浦和から武蔵野線に乗ります。

こいつも本線力行するんですね

はじめに柏たんへ。

今回はバレンタインが中心になります。

一旦藤沢へ。嫁の誕生日を祝いに行きました。

ぼくはいつでも大丈夫です。早く結婚しましょう。

厳密にはバースデーは翌日だったのですが、バイトだったのでむりやり行程にねじ込みました。

つついて小田急で相模大野。

最後に八王子経由で所沢を目指しました。本当はむさしの号に乗るはずでしたが、おしっこしてたら逃げられました。大人しく西国分寺で乗り換えます。

そこにナンバリング出るんだ

秋津経由で所沢たんです。

名刺台が豪華になっていたので写真撮ってきました。たぶんたまプラたんとかしぶとーたんあたりがいないような気がします。


2/13 ビックカメラ池袋西口

↑で池西たんの名刺をもらいそびれたので行ってきました。

ツンデレ池西たんのデレのほうきたああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

気持ちよくなったのでスタバ飲んで帰りました。

ルージュが売り切れたのでダブルチョコフラペチーノです。

 

2/14 バレンタイン

ポケモンいじってました。

 

 

2/15 長野

頑張って書いてます。

kawagoe-poison.hateblo.jp

 

2/17 関西ビッカメ巡り

大阪の案件を消化してきました。

適当に来た新幹線に乗り込みましたが、東京からでも全然座れますね。時期が時期ですがわざわざ指定席取るほどでもないなぁと。

たかつきたんのお店に行くので京都で下車。この時に外人が自動改札を詰まらせていたので、有人改札に回ったらその後切符が永遠に自動改札から弾かれ続ける憂き目にあいました*2

速すぎて怖い

新快速で高槻へ。

続いて大阪から地下鉄でなんばの順に巡ります。

久宝寺行きですが、安く済ますために久宝寺行きにしただけなので大阪できっぷは終了です

そのまま西梅田から四つ橋線に乗車しなんばへ。

なんばのおてんばなんばたん。大口開けてたこ焼きにかぶりついてるのも似合いますね。多分やけどするんで気を付けてくださいね。

天王寺です。あべのたんの名刺を頂きます。

エアコン選んでました。夏までには買い換えたいです。

谷町線で谷九へ。何気初乗車でした。

上本町から近鉄大阪線です。伊勢中川行き急行も気になりますが、五位堂行きの区間準急で八尾に向かいました。そのうち鳥羽行き快速急行とかも乗り通したいですね。

八尾たんは通常名刺もリニューアルされていました。これ毎年変わるムーブかもしれません。

 

帰りのきっぷも久宝寺始発です。せっかくなので久宝寺まで歩いておおさか東線で帰りました。30分弱で着きます。

ドラッグストア激戦区もあります。

そんなこんなで久宝寺から221に座って新大阪へ。

途中途中で視界が開けてきれいでした。大阪って感じですね。

新大阪に着いたらはくとが来ました。大阪発着が爆増するらしいので新大阪で見られる機会も減りそうですね。

後は新幹線で帰りました。

紅ショウガ入れ過ぎた

夕飯は吉野家でした。

 

2/19-22 伊勢

リア友と伊勢に行ってきました。記事書くか悩んでいます。

ビッカメ娘も忘れずに

 

2/25 仮免

仮免取れました。なお日曜は警察署が仮免発行をしていないので、実物を見ることなく翌日バイトに出荷されました。まだ実物見れてません。

 

2/28-29 出雲大社

出雲行きます。そのうち記事出しますが、長野が先です。

 

総括

おでかけ強化月間になりました。クレカが限度額まで行きましたが黒字です。対あり。

それでは出雲から18きっぷで2日かけて帰ります!それでは!

*1:結果的には終電まで多少遅れたくらいで済んだそうです。

*2:復割効かせるために久宝寺行きのきっぷにしたので大阪市内含めて途中下車できるのですが、京都で新幹線からの乗換を記録していないせいで弾かれました。まあ想定内です。

聳ゆる山はいや高く流るる川はいや遠し ~2024冬 長野1~

お疲れ様です。さいがきです。久方ぶりにおでかけの機運が高まったので、どこかへビューンをぶん回して長野に行ってきました。思えば最後に遠出したのは昨年12月の八尾ビッカメ。以来関東から一度も出ることなく過ごしました。月報にも遠出の記録はなかったと思います。今回も結局は日帰りではありますが、おでかけの楽しさを嚙み締めることができました。

 

朝8時半の日進駅からおはようございます。家にいてもしょうがないので早めに大宮に向かおうとしましたが、ものの見事に電車に逃げられました。この日は平日なので、朝の時間も20分は待たなくてもよいのですが、コンビニに行ったりなんだりしてたら結局20分待ってました。

8:40発の各駅停車新木場行きで大宮へ。乗車予定の新幹線にはだいぶ早いですが、日進なんかよりも大宮にいた方が時間は潰せるのでさっさとこんなところは離れてしまいます。

大宮に着きました。ホームに上がるとかがやき505号が入線してきました。発車定刻は9:01なのですが、山形線内での輸送障害に伴い、遅延した山形新幹線及び東北新幹線の接続待ちを行ったため5分ほど遅れて発車していきました。

かがやき金沢行きの定期便は、3月の改正で夜の1本を除いて敦賀行きになります。この505号は大宮発車時刻が30分ほど繰り上がり、行き先も敦賀に変更されます。かがやき金沢行きも貴重なものになりそうですね。

続いてはくたか555号が到着。これは改正後も同じ時刻同じ行き先で残りそうです。続いては上越新幹線のとき309号が到着。そしていよいよ乗車予定のあさま605号が到着です。

これの次には有名な上越新幹線下り最速ランナーのとき311号が到着予定です。一日一回だけ見ることができる「この列車は新潟まで止まりません。」の文字を見ることができます。かつてはMaxとき310号という新潟から東京まですべての駅を通過する列車も存在しましたが、大宮以南は東日本のすべての新幹線が輻輳するほか、騒音問題による最高速度の制限もかかっているため、大宮通過はあまりメリットがなかったようです。大宮以南の建設の際に地元に見返りとして全列車停車という建前もありましたが、先述のMaxときのせいで一時期反故にされたことは内緒です。今や池袋や新宿、渋谷といった副都心まで直通する埼京線との乗り換えに便利であるという理由で大宮は今や全列車停車の駅となったと思われます。実際小田急線や京王線から新宿に出てきて、埼京線経由で大宮から新幹線に乗る人ってどれくらいいるのでしょうか。むさしの号がもう少し本数あれば東京西部からの需要も拾えそうではありますが。

それでは乗車します。E7・W7系は私の好きな新幹線車両ですが、さすがに毎度この座席では飽きが来てしまうというもんです。次回はお金を貯めてグリーン車で旅行をしたいものですが、果ていつになるかは分かりません。なお、この形式にはグランクラスがついているのですが、私はグランクラス童貞は北海道新幹線幌延伸後の大宮札幌間まで守り抜くつもりですので、北陸新幹線敦賀延伸程度の事案で軽率に股を開く、トー横にのさばっているような尻軽にはなりたくないですね。

さて、列車は北西方向へ快速で走ります。特に関東ですが、最近は快くも速くもない快速が多いので*1、久々に「快速」がしっくりくる列車に乗っている気がします。

ニューシャトル沼南駅付近、大宮からは5分ほどの地点です。以前「都民の友人が田舎暮らしをすると言って引っ越した場所が埼玉の大宮だった」みたいなツイートが物議を醸していたようですが、5分行けばこれなので田舎扱いされても文句は言えません。なお沼南駅は原市沼に由来する駅名で、住所はしっかり上尾市なので、大宮民は文句を言うなら上尾に言いましょう。

さらに進むと眼下に熊谷バイパスが見えてきます。いずれは地域高規格道路の熊谷渋川連絡道路となる道路で、現在の上尾道路、後々の新大宮上尾道路とも接続し、首都高速道路与野JCTから関越自動車道渋川伊香保ICまでをバイパスする計画です。関越は川越や高坂、藤岡なんかがアホみたいに混む上に、群馬県南の太田や伊勢崎といった都市の交通を改善することができると見込まれてもいるので、早いところ完成して欲しいですね。ちなみに現状、交通マナーは「熊谷バイパスのヤバいの部分」ですので初心者は覚悟すること。冗談抜きで全部の車線が首都高の追い越し車線です。

そんなこんなで最初の駅、熊谷を通過します。1つ先行のとき309号は、新潟までの存在する駅すべてに停車するため、このあさま号は通過なのでしょうか。上越新幹線は列車名を行き先で分けているため、とき309号は全部の駅に止まるくせに、その後ろのとき311号は大宮以外全通過というちゃんちゃらおかしなことをやっています。東海道新幹線のように各駅に止まるこだま号、準速達のひかり号、最速達ののぞみ号と停車駅で種別を分けて欲しいようにも感じますが、あっちもあっちでひかり号が面倒なことになっているのでどっちもどっちでしょうか*2*3

埼玉県指折りの難読地名の「御稜威ケ原(みいずがはら)」に差し掛かりました。由来は戦時下、この近辺にあった熊谷陸軍飛行学校に昭和天皇行幸した際に、この学校の校長が命名したそうです。ちなみに一応「みいつ」で「御稜威」は変換できます。「厳(いつ)」を丁寧にした言葉で、意味は天皇の威光。恭しい新興地名ですが、今は陸軍学校の名残の航空自衛隊基地とあとは工場が建っている、だだっ広い土地が余りに余った田舎っぽい地域になりました。

農閑期の沿線をミシンで縫うように突き進んで通過するのは本庄早稲田。ところどころに丘陵が見え始め、田畑も波打って見えます。ぜんぶ茶色いですが。早稲田の研究施設の他に何もない場所を驀進していきます。

しかしさすがは私立のトップ大学です。こんなクソ田舎にこんなにきれいなキャンパスを爆誕させてしまうのだから恐ろしいですね。研究施設の立地としては優れているかもしれませんが、こんなところに学生街が形成される筈はまずないので、高田馬場界隈に干からびたミミズのように湧く一般的早稲田大学の学生と比して、早大本庄の高校生と環境系の大学院生は多少不憫ところがあることでしょう。そして高田馬鹿場が埼京線湘南新宿ラインにあっけなくスルーされるように、こちらも大半の新幹線にスルーされます。

たぶん八高線を跨ぎます。八高線上越新幹線をくぐるのは群馬藤岡北藤岡の間ですので、いつの間にかグンマーに入ってしまったようです。こいつは次にグンマーのプライメイトシティ(?)である高崎に停車し、後続の新幹線*4の通過を待つため、憲兵でも乗り込んできたら不法入国で拉致され、どこへ連れ去られ何をされるか分かったものではありません。怖いのでここはラーメンズ理論でグンタマ県民として息をひそめることにしました。

先述の関越ゲロ混みスポットである藤岡ICです。実際には藤岡JCTの方が混雑するのですが、おんなじ藤岡なので一緒くたにしても怒られないはずです。高崎駅上越線信越線(上越新幹線北陸新幹線)の分岐する鉄道の要衝であるならば、関越自動車道上信越自動車道が分岐する藤岡JCTは高速道路の要衝です。埼玉県には道路の要衝っぽいところは思いつきませんし、東京都心は首都高が全部合わせてこの役割を担っているように見えますので*5田舎くさくて自然豊かで車社会の群馬県らしい光景とも言えますね。

烏川を渡って高崎市に入ります。ここからは熊谷を出て以来、再び沿線に都市が形成されるようになります。

上信電鉄線の線路が見えました。佐野のわたし駅周辺です。左側にかかっている橋が佐野橋で、かつて船橋*6だった橋です。なお上州佐野に関しては、橋を渡って逢瀬を重ねていたバカップルが、毒親に橋板を外されたことで川に転落して命を落としたという伝承があるそうで、悲恋の歌枕として有名です。こういう伝承って結末は心中が多い印象ですが、事故死はちょっと意外ですよね。なお烏川の橋板は流れますし、現在も流れ橋として設計されていますが、石神井川の板橋は古代の架橋以来形を変えても流れはしません。おかげで朝ラッシュでは赤羽線の電車も思うように流れてくれません。ボケ。

高崎に着きました。乗客は乗ってきましたが、幸い憲兵は乗ってきませんでした。次の停車駅は軽井沢ですので、ばれないうちにさっさと碓氷峠を越えてしまいます。

先ほどは熊谷以来の、と書きましたが、高崎市の都市の規模は大宮以来の都市です。しかし高崎市は人口が40万に届かないほどの都市で、思っているほど人口がいないのも事実です*7。私はてっきり40万乗ってるもんだと思っていましたし、実際駅周辺がこれならそれくらいいてもおかしくないと思っていたのですが、駅前以外が低層住宅ばかりなので、人口の伸びも頭打ちなのかもしれません。

まあちょっと行けばこれなんだけどね

安中市との境が近づくと、一気に山がちの光景となります。格差ってやつでしょうか。


そしてそのまま安中榛名駅を通過します。ひとつ前の写真を見れば一目瞭然でしょうが、本当にこんな山間の猫の額みたいな開けたところに駅を設けています。ここはある程度の電車オタクなら誰もが知るであろう新幹線の秘境駅です。計画当時は安中市に駅を設置することは列車運行上も支障なく、地域振興の中心となり、観光ルートの拠点ともなるとして多少のルート変更も挟んで駅が置かれた当地ですが、駅周辺にはバスすらろくに来ないうえになんか中途半端で形容しがたいニュータウンのようなsomething*8が申し訳程度に形成されたのみとなっています。後背地に軽井沢を背負う優れた立地であるとは思いますが、いかんせん移住したくなるような、また企業がオフィスを構えたくなるような場所であるとは言えません。というかハード面もソフト面もぶっちゃけ整備が不十分と言って差し支えないんじゃないですかね?

碓氷峠をトンネルで駆け上がり、長野県側に出てくると、法面が雪化粧をしていました。内陸の山岳部とはいえ暖冬の影響もあり、春一番も吹くような晩冬の折、だいぶナチュラルメイクですね。これで冬のスポーツの代名詞のスキーを滑ることができるのか少し疑問に思いました。一方長野県には乗鞍、黒姫、木島平、斑尾、野沢温泉、白馬といったスキー場が揃っており、軽井沢はどちらかと言えば冬はスケートをよく聞く気がします。軽井沢ではスキーはマイナーの方で、スキーに多少不利でもそこまでの影響はないのかもしれません。

一応指定席は8割強埋まる大繁盛っぷりでしたが、ここ軽井沢でおおよそ半分が下車しました。どうやら近隣のアウトレットでウィンターセールを行っていたようで、ほぼ確実にそれ関連だと思われます。そういえば軽井沢にはまともに降りたことがないなぁなど思いながら、あさま号佐久平へ歩みを進めます。

佐久平駅至近のイオンです。普通に佐久平の写真忘れました。佐久市岩村田 中込 野沢 臼田の四つの中心集落と、付随する望月や塩名田、浅科といった集落があります。これと言って中心と言える場所は言い難いのですが、佐久平駅にも近い岩村田と市役所のある中込が少しだけ栄えているのかなという勝手な印象があります。ちなみに北陸新幹線は、長野までの区間ミニ新幹線として整備するという案もあったようで、それを提唱したのが現在は新幹線の通らないお隣の小諸市であるとされています*9。対して信越本線のルートから外れる佐久市フル規格新幹線の建設を提案。国鉄がフル規格にする気満々であったため、小諸市はルートから外されました。おまけに佐久市の新幹線駅の駅名にも「小諸佐久」「佐久小諸」を提案するも却下。この駅の名前は佐久盆地の別名からとって「佐久平」になりました。ルートから外すならまだしも、駅名からもハブられる*10とは小諸としても解せないでしょうし、国鉄側もぐう畜だなぁというのが正直な感想です。私は小諸に降り立ったことは無いので実際小諸がどんな街なのかは知りませんが、ここまで山岡さんの鮎みたいに扱われるのは素直に可哀想だなぁの一言です。

ちなみに線形はこんな感じ。

速度を保ちつつかつ、小諸市をギリギリのところで躱してまだまだ進みます。さすがにこれは露骨すぎません...?

確か千曲川を渡ります。北陸新幹線はここから飯山までおよそ千曲川に導かれて北信地方を駆け抜けます。

千曲川が寄り添うようにして、街が開けると上田に到着します。長野県第三の都会で、真田氏の城下町の風貌と、関連の文化遺産が残る観光都*11です。上田市は市の人口こそ15万人ほどではありますが、都市圏人口で考えるとこの倍ほどの人口を抱えており、長野県内の拠点都市の一角としても機能しています。

特に市街中心部に近いお城口方面はそこそこの量の雑居ビルが林立しており驚かされます。上田中心部の周辺にも菅平高原や鹿教湯温泉別所温泉、少し離れれば美ヶ原高原などが存在し、観光拠点としても発達してきたのではないでしょうか。規模こそ違えど静岡県の三島のような雰囲気を感じました。

大量閉店が話題になったイトーヨーカドー。アリオ上田の店舗も2025年をめどに閉店という風の噂を聞きました。間違ってても知りません。とりあえず撤退し、ロピアが新しく入ることは確実だそうです。地方都市の大型商業施設は商業的な意義の他に交流拠点であったり人材雇用の観点からも一定の存在価値を孕むものであると認識していますが、もはやそれでも維持することが困難になっていることが衝撃的ですよね*12。まあフードコートとかは残るような感じなので、ただのテナント変更程度にしか映らないかもしれませんね。知らんけど。

記憶が正しければ川中島です。その名を冠した戦いで有名ですね。結局どっちが勝ったのかわからない中途半端な戦です。この地域は千曲川犀川が合流する地点であり、決着がついてなさそうなのも、図るに汗と川の水でベッシャベシャでやってられなくなったのでしょう。12年かけて5回も合戦をやってるし。一応両者が勝利宣言を行っていますが、川中島地域は戦後武田の勢力下におかれています。じゃあ武田が勝ちでいいよ。なお最終的には武田信玄の死後、勝頼が長篠の戦いでボッコボコにやられ、上杉謙信と和睦し、さらに謙信の死後は甲越同盟を結びズブズブの関係になります。しかしあまりにも仲良くしすぎて越後までしっかり武田さんの勢力となった結果、甲相同盟を結んでいたメンヘラ彼女の後北条さんがヒスって、徳川織田連合軍に叩きのめされることになります。この辺訳わかんないから誰か図解してください。

はい長野です。最終的に指定席は4割いるかいないかの乗車率に落ち着いていました。まあ平日でしたしこの程度がちょうどいいですね。せっかく日常からの解放を求めておでかけを敢行しているのに、満員の指定席で窮屈な思いをし続けるのは御免です。高い金払ってグリーン乗るしか選択肢がないですが、学生にそんな余裕があるはずないんだよなぁ。

長野駅前は想像のさらに上を超える大都会ぶりです。山間の都市と侮る勿れ、駅前のドンキを除けば都内と遜色ありません。なお、長野市の中心街は善光寺口側のみで、長野駅はいわば市街地の端っこに過ぎません。てか国道19号のあたりまでで中心市街地っぽい市街地は終わるのでそう考えると狭いなぁと。東京や大阪といった大都市の市街地の広大さにまた驚かされます。

バスに乗る前に長電のフリー乗車券を購入しておきます。特急料金込みなので、移動の質も効率も向上しますのでとても強力です。鬼に金棒、駆け馬に鞭、フリーきっぷに特急料金です。

さて、善行寺まではそこそこの距離があるのですが、ありがたいことに、道中の常夜灯を追っていけば山門にたどり着きます。

二種類の灯に従っていくとどんどん門前の空気感が増してきます。参道を登るにつれて気分もどんどん高まります。

新田町です。めちゃくちゃデカいビルが建っていて新田感はありませんが確かに新田町です。本当に広い交差点で開放的でした。ちなみにまだまだ善光寺までは1.5kmくらいあります。

どんどん周りの建物と道の雰囲気が変わっていきます。

さらに20分ちょっと歩いて大門に着きました。長野駅からバスに乗ろうと思っていたのですが、結局バスが大門近くの善光寺大門バス停に着くより早く辿り着きました。交通費が浮いてラッキーです。

山門までの道沿いは特に賑やかでした。スタバとかも入っていた気がします。どこにでも入っているような印象のスタバですが、それでもまわりと調和しているんだから企業努力の賜物ですね。

着きました、善行寺です。

ちゃんと牛の顔っぽい「善」を拝めました。特に牛に牽かれたわけではありませんが、善行寺参りをします。

よく神社には行くのですが、寺院にはあまり行かないのである意味新鮮です。ここでお参りをするのですが、ついうっかり二礼二拍手一礼かますと異教徒バレして仏様から首根っこ掴まれて極楽浄土まで打ち上げられた後無間地獄にスマッシュされます。

あまりよく知りませんが、たぶん煙を悪い場所に回すとその場所がよくなるみたいなギミックです。100円でお線香を入れてきました。ちなみに未だに頭もお行儀も良くなっていません。

するとここで後10分ほどで一番偉いお坊さんが来るみたいな案内があったので、せっかくなのでお目にかかることにしました。ちょうどこの日は大般若と呼ばれる、月に一回とんでもない量のお経*13を奉納する日だったそうです。参道に跪いて合掌し、頭をポンと叩いて頂くことができます。なお行列者は撮影禁止です。写真を撮るか頭叩かれるかの二択ですね。

赤い傘の許にいるのが一番偉いお坊さんらしいです。ちなみにこれは正午だったのですが、もうちょい早い時間だと、女性のお坊さんがいらしていたそうです。いや別にそんなみみっちいこと気にしませんよ。

善光寺にお参りが済んだら門前でお昼におやきを食べました。ネギ味噌と鶏肉の山賊焼き風のおやきでした。もちもちで美味しかったです。寒かったので中が熱々なのも嬉しかったですね。私は猫舌なのでしっかり冷まして食べましたが。

その後も適当にふらついて善光寺を後にしました。

善光寺は参道から一つズレた道を通ると雰囲気はそのままで人だけ消えたみたいなところになるので、帰りは裏から帰るのもおすすめです。

次の目的地は長野電鉄経由で湯田中に決定。一度善光寺下駅に着きましたが、善光寺下駅で電車を待たされるのが嫌だったので、権堂駅まで徒歩で向かいました。

昭和の雰囲気がムンムンしていました。昭和を生きたことがない私が言うのだから間違いありません。恐らく、昭和56年に地下化して以来ずっと同じ設備を使っているのでしょうね。チョークこそありませんでしたが、伝言板も残っていて勝手に懐かしい気分になりました。ですが、やったらめったらピッカピカなのでチョークを持参しても記入しない方がいいと思います。知らんけど。

権堂アーケードを真ん中くらいまで行ったところでいい時間になったのでホームに降りました。改札が省略されていましたが、こういう時ってフリーきっぷ持ってても改札通るのが後ろめたいから自動改札機早く置いてください。結構ガチで。

縦書き看板がいい味出しています。今や都心ではこのような光景は消えつつある*14ので、貴重と言えば貴重ですから、大切にして行って欲しいです。しかし、こういったものって劣化するにつれて不気味さを演出する素材にもなり得るため、心のどこかではリニューアル工事をして欲しいとも思っていました。

わりかし近所であったことあるよね君

そういった駅の「昭和っぽさ」を長野電鉄は大切にしているので、電車もそれに見合った車両が走っています。つい最近まで田園都市線で走っていた8500系が来ました。特にこいつは田園都市線が渋谷に来る前から走っていた編成らしいです。相当な古株電車ですよね。私も田園都市線を使う機会があるので*158500系には乗ったことがありますが、その時のような轟音で地下区間を飛ばしていたのが印象的でした。

 

というところで第一幕は終わりにします。文章が淡白に感じていたので調子乗って膨らませたらすごい文量になってしまいました。逆に読みにくいですが削るのもだるかったんでそのまま完走しましたが、次回からはまた文字数を減らさないといけませんね...

それではここまでお読みいただきありがとうございました。次回が出るまで空いてしまう気がしますが、何とか頑張りたいと思います。それでは!

*1:停車駅設定についてとやかく言う気はありませんが、個人的には南武線常磐線の快速以外には快速を名乗らないで欲しいと思っています。

*2:なおひかりは概ね日中に限れば山陽新幹線に直通するならば東京、品川、新横浜、静岡、浜松、名古屋、京都、新大阪と小田原か豊橋のいずれかには確定で停車、新大阪行きならば静岡と浜松ではなく岐阜羽島米原には確実に停車するため、まだ優しいのでしょうか...

*3:ときは新潟行きが例外なく名乗る列車名のため、基本的に熊谷と本庄早稲田上毛高原以外はすべての駅に止まりますが、上毛高原には止まる便、熊谷にも本庄早稲田にも上毛高原にも止まる便、高崎も通過する便、大宮以外全部通過する便、通過三駅に加えて浦佐燕三条を通過する便などいろいろいるせいでマジで訳がわかりません

*4:かがやき507号

*5:強いて言うなら箱崎JCTか大橋JCTでしょうか

*6:船の上に板を渡した橋のこと。千葉県船橋市富山県舟橋村など、これがそのまま地名になった例もある

*7:ちなみに人口規模で言うと同じくらいの都市としては高槻市川越市、県庁所在地では奈良市などがこのラインです。

*8:後から知りましたがこのニュータウン的な何かにはイオンどころかコンビニすらないそうです。

*9:最初は小諸もフル規格で誘致していましたが、千曲川浅間山の火山灰の影響などで地盤に不安があったり、線形が歪み、速達性を失いかねないという事情があったりして、これらの改良に伴う工事費が莫大になることを予期し、早々にフル規格から手を引いたと言われています。

*10:佐久盆地」の意味で「佐久平」を用いた場合、小諸市を含む広域地名となるので、完全にハブられたわけではないようです。

*11:「信州の鎌倉」という異名があるそうですが私は聞いたことありませんでした。

*12:なお上田は駅を挟んで反対側にイオンがあります。

*13:覚えてませんが確か600ページとか言ってた気がします

*14:てかもうほぼないです。

*15:ビッカメ娘関係とか。