お疲れ様です。さいがきです。関西編の続きになります。同じ場所にばっかり行っているせいで、これと言って書くことがありませんが、張り切っていきましょう。
前回はくろしおで天王寺まで行ったところで終わりました。
くろしおを見送ったら環状線ホームに移動して鶴橋へ。あべのやなんばは今回は案件の対象外なのでスルーで八尾に向かいます。八尾が一番案件に積極的なのが意外でした。
黒字の駅名表かっこいいですよね。山手線の駅の駅名表も黒くなったりしませんかね()
鶴橋では日付印をもらい、改札を出てから近鉄の乗り場に向かいます。
そろそろ新車が欲しい近鉄大阪線の区間準急で八尾を目指します。大阪市近郊の近鉄の雰囲気めっちゃ好きなんですよね。私は父親が河内の人間なので、遺伝子レベルであの辺好きなんだと思います*1。
八尾です。お馴染みですね。「尾羽根が8つあるウグイスが止まる木が合ったから」や「弓矢を作る部族が住んでいたから*2」なんかの由来が伝わっています。ウグイス説いいですよね、西日本らしい雅やかな由来です。
八尾駅前です。大阪の外縁部の都市って大体こういう規模間な気がします。いや知らんけど。なんか印象はそんな感じです。駅から歩いて八尾ビッカメを目指します。
八尾ビッカメって辿り着く前に絶対アカチャンホンポと見間違うんですよね。
ついにパネルが爆誕した八尾たんです。キャラ的には元気娘で大宮たんやしんとーたんの系統だと思っていましたが、こう見ると藤沢たんや新宿西口たん系統の姉貴分なキャラっぽいですね。吹き出しの中は「八尾たんやで!」になると思っていたのですが、「八尾たんです!」なのが意外でした*3。
あと八尾たんめちゃくちゃスタイル良くないですか?スラっとしたモデル体型でこれもびっくりでした。比較したことないのでわかりませんが、もしかしたらたまプラたんや有楽町たんを差し置いてビッカメ娘で一番背が高いかも知れません。意外っていうと失礼かもしれませんが、いい意味で解釈違いでした。
夏のはち娘名刺はコンプリートです。3人ともらしさに溢れた浴衣ですよね。てか八尾たんの八重歯あざといいね。
はい、帰ります。18券なので俊徳道からJRでもよかったのですが、乗車区間がキモくなるので大人しく鶴橋に戻ります。
来年秋くらいに投入されるらしい新車*4は奈良線 京都線 天理線 橿原線から入るらしいので、大阪線はもうちょい後っぽいですね。日常的に近鉄を使う身ではありませんが、大昔に父方の実家に帰省した時からよく見ていた車両が姿を消していくのは寂しいなと思う反面、新車は近未来的なデザインだったので、古くさい近鉄の印象を払拭してくれるんじゃないかと楽しみです。
また大阪環状線です。いつも通り大阪を目指します。
なんだかんだ大阪側の京阪電車も1回しか乗ったことない*5ので、京橋も全然降りたことが無いです。今度は降りてみたいと思います。
ここでモバイルバッテリーを忘れたことに気付き、慌ててレンタルのアプリを入れ、天満のキヨスクで借りました。大阪駅で乗り換える新快速には間に合ったので良かったです。
環状線で快速運転するのバグだと思うんですよ。途中でどっか別の路線に行ったり割り込んできたりするのに退避駅ないとかマジで意味わからん。
あと梅田貨物線が地下に埋まりましたが、いまそういえば安治川口行きのスーパーレールカーゴってうめきたホーム通過しているんですかね。というかまだ走ってるんですかね()
マジで存在は知ってるけど生で見たことない電車の代表例がスーパーレールカーゴだと思います。
新快速で姫路を目指します。いつものパターンですね。
ぶっちゃけ新快速で語るようなことも特にないんですよね。乗り慣れてるわけではありませんが、神戸線って速すぎて、ただ無心で窓を眺めるくらいしかやることが無いんですよ...
という訳で文字数稼ぎのために新快速の停車駅変遷を書いていこうと思います(爆)
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琵琶湖 京都 神戸線の新快速の停車駅は、今となっては米原 彦根 能登川 近江八幡 野洲 守山 草津 南草津 石山 大津 山科 京都 高槻 新大阪 大阪 尼崎 芦屋 三ノ宮 神戸 明石 西明石 加古川 姫路とかいうぶっ飛ばしてる割には意外と止まるところには止まってる停車駅ですが、デビュー当初、まだ運行区間が京都から西明石だったころの停車駅は、京都 大阪 三ノ宮 明石 西明石でした。うん、間違いない。その後1971年に一部が草津発着に。停車駅は草津 石山 大津 京都 大阪 三ノ宮 明石 西明石になります。さらに1973年には姫路行きが登場します。停車駅は特に変わりませんでしたが、姫路行きに限っては西明石ではなく加古川に停車していました。一応新幹線との棲み分けだったらしいですが、まだかなり攻めた停車駅ですよね。翌年は湖西線堅田への直通運転が開始。臨時で近江舞子行きも運転されるようになりました。湖西線内は堅田 叡山*6 西大津*7 京都に停車。今とあまり変わりません。1978年には停車駅に神戸が追加。神戸線新快速はだんだんできあがってきました。さらに時代は飛んで1985年には新大阪が追加。新幹線と差別化から新幹線連絡へシフトします。ついで翌年は運転範囲がさらに拡大し彦根まで乗り入れる*8ようになります。彦根から草津までの停車駅は現在と全く一緒です。また同年には全列車が山科 西明石に停車するようになります。1988年には運転範囲が米原まで拡大。今は彦根で折り返すことは事実上不可能*9ですが、かつては彦根で折り返していたんですね。鉄道が開業してからの米原の栄えっぷりもすごかったのですが、まあ彦根には劣るような印象でした。それから諸般の事情で新幹線を勝ち取るなど、米原の躍進は純粋に凄いと思います。1990年は日中に限り高槻 芦屋に停車開始。1997年には尼崎が追加。さらには日中のみの停車だった高槻には終日新快速が停車するように。私が生まれた2003年は芦屋が終日停車駅に昇格。2011年に南草津が停車駅に加わって現在に至ります。まとめるとこんな感じ。なお湖西線は山科くらいしか変わらないし、北陸線や姫路以西は各駅停車なので省きます。
1970年 京都 大阪 三ノ宮 明石 西明石
1971年 草津 石山 大津 京都 大阪 三ノ宮 明石 西明石
1973年 草津 石山 大津 京都 大阪 三ノ宮 明石 西明石(姫路行きは通過) 加古川 姫路
1978年 草津 石山 大津 京都 大阪 三ノ宮 神戸 明石 西明石(姫路行きは通過) 加古川 姫路
1985年 草津 石山 大津 京都 新大阪 大阪 三ノ宮 神戸 明石 西明石(姫路行きは通過) 加古川 姫路
1986年 彦根 能登川 近江八幡 野洲 守山 草津 石山 大津 山科 京都 新大阪 大阪 三ノ宮 神戸 明石 西明石 加古川 姫路
1988年 米原 彦根 能登川 近江八幡 野洲 守山 草津 石山 大津 山科 京都 新大阪 大阪 三ノ宮 神戸 明石 西明石 加古川 姫路
1990年 米原 彦根 能登川 近江八幡 野洲 守山 草津 石山 大津 山科 京都 高槻(日中) 新大阪 大阪 芦屋(日中) 三ノ宮 神戸 明石 西明石 加古川 姫路
1997年 米原 彦根 能登川 近江八幡 野洲 守山 草津 石山 大津 山科 京都 高槻 新大阪 大阪 尼崎 芦屋(日中) 三ノ宮 神戸 明石 西明石 加古川 姫路
2003年 米原 彦根 能登川 近江八幡 野洲 守山 草津 石山 大津 山科 京都 高槻 新大阪 大阪 尼崎 芦屋 三ノ宮 神戸 明石 西明石 加古川 姫路
2011年 米原 彦根 能登川 近江八幡 野洲 守山 草津 南草津 石山 大津 山科 京都 高槻 新大阪 大阪 尼崎 芦屋 三ノ宮 神戸 明石 西明石 加古川 姫路
私的には滋賀県内は止まりすぎなんじゃないのという印象がありましたが、滋賀県内は停車駅が基本的には市の代表駅なのでまあ納得ですね*10。
新快速終わり
さて、1000文字くらい稼いだところで姫路に到着しました。天満で借りたモバイルバッテリーを返却し、乗り継ぎの電車を待ちます。
四国帰りのにせとこさんとニアミスしました。気付くのが遅れてエンカはしませんでしたが、たぶん気付いていないだけで見かけてると思います。
私は新快速に切り離された可哀想な付属編成で播州赤穂へ向かいます。いつも上郡・熊山経由なので播州赤穂・備前片上経由で岡山入りします。
初めての赤穂線です。さすが223系というべきか、思ってる以上にスピードを出していました。単線でもこんなに飛ばすんだね。なおここからは末期色なのでのんびりコトコト進みます。
播州赤穂駅はJRの旧国名を冠した駅で唯一の「○州」表現の駅です。私鉄とかだと「武州荒木」「上州富岡」「信州中野」「遠州森」とか探せば見つかるのですが、なんでか知りませんが国鉄は「○州」が嫌いで使いたがらなかったそうです*11。逆にここだけ例外的に許された理由も気になりますね。なお「赤穂駅」は現在の駒ケ根駅が名乗っていたので使わなかったそうです*12。
赤穂線の沿線は山陽線と違ってインダストリアルな車窓です。瀬戸内らしい工業地帯です。山口県の方まで行くともっと大規模な工場があったりして見ごたえがありますよ。
18きっぱーと思しき人も多かったです。今は昼下がりののどかな時間でゆるりとした雰囲気の車内でしたが、学生の帰宅ラッシュとかぶってこの先の西大寺あたりからはめっちゃ混みました。
赤穂線でも特に瀬戸内海に近い日生駅です。日生の地形は溺れ谷で、地盤が沈降することで生まれた島が多くあります。また、ここはもとは海だった場所を埋め立てて造った駅で、駅のすぐ目の前に港があるのも特徴です。日生の近くの島々はカキの養殖やミカンの栽培で知られるほか、別荘地としても親しまれているようです。
電車が混みまくったので岡山までカット。手前のウニかいが栗みたいなやつはピーコック式噴水といい、クジャクをイメージした形なのだそう*13。日本でもちょこちょこ残っているそうですが、ここまで大きいピーコック式の噴水はここだけらしいです。そんな岡山駅前のこの噴水も2025年度をめどに撤去され、ここに路面電車が入るそうです。市民の憩いの場所として親しまれている噴水なだけに、残念がる市民もある程度いるとかいないとか。
本日の宿は岡山に取っているので、チェックインをして荷物を置き、再び繰り出します。
躍動感あふれる岡山たんです。パネルを移設したので最初マジで迷いました。ちなみになんでこんな写真になったかというと、このパネルの目の前になんかのゲーム*14の体験ブースがあり、どう頑張っても真正面から撮れなかったからです。岡山たんも3回目にの来訪*15となり、関東の水戸たんやプロスタたんより会っていることになりました。これはおそらくバグです。さいがきくんはもっと関東ビッカメに足を運ぶべきだと思います。
夏名刺です。岡山たんの帯刀設定が生かされたスイカ割り柄ですね。スイカ割りなら目隠ししようぜ、とも思いましたが、設定上岡山たんが佩刀しているのは真剣なので、目隠ししたらただのクレイジーなバーサーカーかヨルハ二号B型になってしまうのでしょうがないね。
岡山駅に戻りマリンライナーで茶屋町に向かいます。さすがラッシュの宇野線と言わんばかりにめっちゃ混んでました。
夕日がきれいですね。茶屋町です。かつては児島湾の底にありましたが、干拓によって陸地になり今に至ります。地名は金毘羅往来の沿線に大名の休憩所の茶屋などの商家が多くあった*16ことに由来します。さて、このままマリンで四国入りしてもよかったのですが、たぶん今行かないと一生乗らないであろう宇野線を往復することを選択。湿度がえげつなく高くて待ち時間が地獄でした。
宇野に着いたら真っ暗でした。駅前のコンビニで夕飯を調達し、誰もいない待合室で食べていました。どのあたりから海かは分かりませんでしたが、しっかり潮の香りはしました。あと暴走族もいましたね*17。
帰りの電車は岡山行きだった気がします。真っ暗で何も見えませんでした。
ここからさらに桃太郎線だったり津山線だったりもかじろうかと思いましたが、めんどくさくなったので宿に帰りました*18。
ホテルでは人工炭酸泉の大浴場があったのでゆっくり疲れを落とし、風呂あがりに飲酒して寝ました。始発で出るか新幹線に乗るか決めていませんでしたが、起きてから判断することにしました。
甘酸っぱくておいしかったです。果実の味はすっきりとしていて、あとからリキュールの苦みが少し目立つような感じでした。私は全然問題なく飲んでましたが、リキュールの苦みが気になる人もいるんじゃないかな~とも感じましたね。まあそういう人はお酒苦手な人でしょうけど...
あ、ネタばらしすると、ヤコバで全然眠れなかったせいもあると思いますが、翌日は思っていた倍くらい寝てました。さすがに起きて時計を見たときビビったよ。
ということで第2弾でした。
次回で完結です。来週中には上げたいと思っています。
厳しい夏の盛りも往き、台風の季節になりましたので、皆さん天気予報はしっかりチェックしておいてくださいね。
*2:矢負い→矢尾→八尾
*3:ほかの大阪娘は語尾は「やで!」
*4:なんと24年ぶりです。
*5:おまけに初電の普通で爆睡していましたw
*8:草津で種別を変えて乗り入れる列車は前年から運転しており、安土や野洲発着の列車も多く運転されていました。
*9:米原派出所まで回送しないといけなくなっています。これは新快速の米原乗り入れ翌年に下り方の渡り線が撤去されたためです。あとついでですが、昔は中線とは別に3番線があったそうです。
*10:ただし栗東を除きます。栗東市は中心街が草津線の手原駅周辺であり、栗東駅も両端がそれぞれ守山駅と草津駅なので仕方がないところもありますが...
*11:飯山鉄道を戦時買収して飯山線とした際には信州○○駅を全部信濃○○駅に改称させた歴史があります。
*12:ただし現:駒ケ根駅の赤穂駅の読み方は「あかほ-えき」でした。
*13:今のところ私にはどう頑張ってもクジャクには見えていません。
*14:多分レースゲーム系だったと思います。
*15:2022年の年末 2023年のバレンタイン 今回の3回目です。
*16:ちなみに茶屋町は由来とは裏腹に、宿場町ではなく汐入川河口の港町として栄えました。
*17:1人だったので言い方が適切かは分かりませんが...
*18:宇野往復で時間が余ったら四国行ってその足で接続の桃太郎線の乗ろうと考えましたが、時間が余らずモチベが無くなってました。