天鵞絨色のエトセトラ ~Velvet-colored Etosetra~

天鵞絨色のエトセトラ ~Velvet-colored Etosetra~

課題レポートより頑張れている気がします。

小さな頃には宝の地図が ~2022九州5~

こんにちは、さいがきです。1月はあれほど記事を出したのに、早速2月は月報で終わりました。記憶が無くなる前に書き上げます。

 

いよいよビッカメ巡りのゴールを迎え、あとは帰るだけになりました。と言っても帰るまでにちょっとだけ寄り道をしました。前日の一件*1で萎えてしまって写真がほとんど無いのが悔やまれますが、気にせずに進みます。

 

ということでまずはホテルを出るのがめんどくさかったのでアパホテル投げ銭。30分ちょっと延長してから昼前に博多駅を出発。区間快速*2鳥栖行きで南下しています。写真はないです。

関東人だからというのもあるかもしれませんが、福岡の近郊区間は距離感が掴みにくかったです。博多から鳥栖って意外と近いんですね。快速だと30分で着いてしまいました。新宿から立川っていうと距離感的には伝わるのかな?個人的にはそんな印象です。

最初の停車駅は南福岡。前回述べた車庫がある駅です。811系や813系、821系、883系とかがいた気がします。停車時間が全然なかったのに特急に抜かれたような抜かれていないような気がしますが、今更時刻表を引っ張り出すのもアレなのでスルー。鹿児島本線の列車は南福岡で乗務員が変わることが多いので、たぶんあの間に交代していたんだと思います。種別と一緒に福間で代わっていたらごめんね。

南福岡の次は大野城。日本史で序盤に出てくるそこそこ大きな事件である「白村江の戦い」の際に築かれた古代山城に由来する町です。続日本紀には「大宰府をして大野、基肄(きい)、鞠智(くくち)の、三城を繕治せしむ」と、記載された城であり、大野城は現在の大野城市から太宰府市宇美町にかけて、基肄城は現在の筑紫野市から基山町にかけて、鞠智城は現在の菊池市から山鹿市にかけてに建っていました。今も跡地は残っています。三つの城はそれぞれ見ればわかる通り、地名の由来になっています。

そして二日市。かつて毎月2のつく日に市が開かれたので二日市です。四がつく日だと四日市、五がつく日だと五日市です。「○日市」や「○日町」という地名は確定でこれが由来なので頭の片隅にでも放り込んでおいてくださいね。いやだからと言って何かあるかという訳では無いのですが。

 

二日市の次は原田です。九州では屈指の鉄道のまちで、冷水峠越えの給水給炭地点でもありました。ところで九州の地名には「原」を「はら」と読む場合*3と「はる」と読む場合*4がありますね。「はら」は文字通り平べったい「はらっぱ」の意味なのですが、「はる」ってじゃあ何なのでしょうか?「墾る(は-る・土地を切り開くこと。開墾、墾田の『墾』)」からの当て字説やはらっぱの「はら」に対して斜面地の「はる」説などがありますが、個人的に好きな説は古代朝鮮語説です。古代朝鮮語で「村」は「伐(ボル)」と発音されていたので、そこから転じて「バル」という説です。即ち渡来人の集落だったのでは、という説になります。北海道や北東北にアイヌ語由来の地名があるなら、九州に古代朝鮮語由来の地名があってもおかしくはないですよね*5。夢があって面白い説だと思います。

 

その次は基山。基肄城の残る基山*6の近くにあります。日本書紀には、高天原から追放されたスサノオが子の五十猛神新羅に行き、持ち帰った木の種を筑紫に最初に植えた、とあり、この筑紫とは基山であるとして、基山は日本植林発祥の地を謳っています。山中に基山町が建てた石碑があり、説明文には「貝原益軒*7と久米邦武*8日本書紀にある筑紫とは基山と断定した」との記述があります。ぶっちゃけ根拠は知りません。

 

そしていよいよ鳥栖。終点です。乗り換え時間がそこそこカツかったのですが、対面乗り換えではなかったので機嫌が悪くなりました。ワンマン列車で一路西を目指します。確か肥前浜行きだった気がします。軽快に飛ばしてくれたので、各駅停車でしたがストレスは無かったです。そのままぼんやり乗っていると目的地に着きました。

という訳で佐賀です。18があったから来ただけであって、特に佐賀でやることはありません。悲しいね。

決して田舎ではないのですが、大分や博多を見てきてしまったのでどうも劣ってしまうように映ります...

「佐賀」は「日本武尊が御巡幸の時、樟の栄え繁る有様を見られ、この国は『栄の国』と呼ぶがよかろう、とおっしゃった。その後『栄の郡』といい、改めて佐嘉郡と呼ぶようになった」と肥前国風土記にある。明治維新に至り佐嘉庁で新政の一環として達示をもって「嘉」が「賀」に改められて今日に至っている。(佐賀県HPより引用)

九州の県都の中では少し小さい印象がありますが、由来が「栄」だとは思っていませんでした。

 

ロマンシング佐賀ラッピングの唐津線です。なんでよりによって唐津線でラッピングなのかよくわかっていないです。ファンに乗ってもらうため?

お昼を食べて帰りの電車で鳥栖へ、鳥栖からは区間快速*9に乗って博多へ。天神2号館たんの名刺がやっぱりないことを確認し、博多駅でお土産を物色。そのあとはオタクとの通話に潜って博多駅のホームで凍えていました。するとなにかおいしそうな匂いが。何の匂いだろう...

らーめんきたああああああああああああ

食べます。味玉ラーメンです。博多ラーメン初体験で舌をやけどしながらもすごい勢いで食べました。スープがこってりしすぎていなくてめっちゃおいしかったです。きくらげやネギの食感も最高。味玉は中身がデローっとしないくらいのトロトロっぷりの神味玉でした。また食べたいです。

という訳で博多を離れます。こんな時間から東京まで新幹線があるわけでもないし、JRで空港に行けるわけでもないですが、電車を待ちます。

お前はソニックだよ。

もうかもめはいないんだ...

 

で、ソニックの後を追うきらめきで小倉に行きます。

私自身も忘れていましたが由布院からの乗車券がまだ残っていました。

時間帯も時間帯なので停車駅は通勤客向け、という印象です。

指定席でくつろいでいると、ゆっくりと電車が発車。放送が入ります。が、マイクが壊れているらしく、車掌さんの声がヨレヨレで驚きました。

検察に車掌さんが来たときは普通の声でしたので機器の不調であっていると思います*10

スマホの充電が無かったので、リクライニングをガッツリ倒して読書をしていました。確かマルクス・アウレリウス・アントニヌス*11の「自省録」を読んでいました。最近のお気に入りかつ心の拠り所です。

博多から1時間弱、小倉につきます。

この先フェリーに乗らなくてはいけない都合で、こんなところでスマホの充電を切らすわけにはいかないので、これだけ撮って下車。連絡バスに乗り換えて新門司港に向かいます。写真はないです。

 

無事にターミナルにつきました。乗船まで気は抜けません。スマホの充電は残り3%です。

残り2%。ミッション達成。いよいよ本日のお宿に乗船します!

すずらんです。自分の個室に荷物を置いて、即充電器をスマホに繋ぎ、出港を待ちます。

ついにその時が...

23:55、定刻で出港しました。いよいよ帰ります。まともな飯をラーメンしか食べていないので小腹が減ってきました。

ん?金曜日の夜...船の上...空腹...?

 

せや!!!!

 

カレーを食べます。船で食べるカレーは最高においしいんですよね。俺がカレー大好きっていうのはありますが。カレー最高!最高においしい!

気付いたら港があんなに遠くに見えました。なんとなく空しいです。

 

さて、これ以降船は徐々にスマホの通信が届かない海域に入っていくので、その前に寝ました。まあ起きても電波通じなかったんですけどね。

 

ということで帰路につきました。船での生活を書いてようやく年末九州が完結します。本当に長かった...

 

それでは次回最終回、よろしくお願いします!

*1:天神2号館たんのコラボ名刺がまさかの配布終了していた件。

*2:快速区間は福間から鳥栖なので実質快速

*3:駅名になっているだけでも佐賀の「虹ノ松原(筑肥線)」や「金石原(筑肥線)」、長崎の「島原(島原鉄道線)」、宮崎の「佐土原(日豊本線)」などのほか、天草四郎の逸話で知られる原城も読みは「はらじょう」。

*4:福岡の「陣原(鹿児島本線)」や「長者原(筑豊本線)」熊本の「田原坂(鹿児島本線)」、宮崎の「餅原(日豊本線)」など。ブルーインパルスの展示飛行でも有名な新田原(にゅうたばる)基地も。

*5:ちなみに他にも「ムレ」は古代朝鮮語で「山」「丘」を意味する言葉なので、「牟礼」という地名は古代朝鮮語由来といえるなど。

*6:「きざん」と読む。「基山村(きやま-むら)」成立に伴い、自治体との混同を避けてこう呼びだしたらしい。

*7:江戸時代の本草学者・儒学者。「大和本草」の著者として知られる。

*8:幕末の歴史学者。古文書学の先駆けと言われている。

*9:快速区間:福間~小倉だった気がする

*10:ちなみに「あまり指定席の予約が入っていないから」という理由で隣の座席に大きい荷物を置かせてくれた上に、「落ちてけがする方がよくない」と声をかけてくれるぐう聖車掌さんでした。

*11:古代ローマ16代皇帝で五賢帝の最後の一人。マルコマンニ戦争の陣中で崩御した。軍事より学問が好きだったらしい。