天鵞絨色のエトセトラ ~Velvet-colored Etosetra~

天鵞絨色のエトセトラ ~Velvet-colored Etosetra~

課題レポートより頑張れている気がします。

「(固有名詞)の(一般名詞)」ってかっこよくない?のお話

こんにちは、さいがきです。私はあまりアニメを見ないのですが、どういう因果なのか、この間YouTubeくんから突然「ルパン三世」の映画に関する動画をおすすめされました*1。そのタイトルが『LUPIN THE IIIRD 次元大介の墓標*2。ラストシーンの次元のセリフ「お前がどれだけ軽い銃を使おうが知ったこっちゃ無いが、俺に言わせりゃ、ロマンに欠けるな」がクソほどかっこよくてしびれました。渋くてハードボイルドなこのセリフが登場する流れもまたいいんですけど、今回取り上げるのは残念ながら(?)次元でもなければチャカでもなくてこの映画のタイトルの「次元大介の墓標」。ここにめっちゃ惹かれたんです。いやいや、そりゃ映画のストーリーに「次元」の「墓標」は出てきます*3し、例えば下に貼った写真はそれぞれ「にいがたたん」の「名刺」、「大谷翔平」の「レプリカユニフォーム」、「浅草今半」の「弁当」であり、この文章を打っている媒体は「さいがき」の「ノートパソコン」です。こんなのいくらでも言えそうですね。

しかし、この映画は「次元大介」の「墓標」ではなくて「次元大介の墓標」であって、両者は全く別物です。前者は映画に出てくる次元の墓標、後者は映画そのものをさしているわけで、墓を指して言っている訳ではありませんね。え?伝わらない?

ニュアンスを分けて伝えるのは難しいですけど、「墓標」は一般名詞として存在していますね。そこの前に「次元大介の」ってつけると、「墓標」に「誰の」という情報が付与されます。当たり前だね。でもこれが指しているのは所詮は一般名詞の「墓標」。「誰の」はただの「格助詞の連体修飾」に過ぎません。要は情報を足したところで指している物が一緒だよね、メインとなる主語に含まれる名詞は1つのままだよね、ってこと。

これが「次元大介の墓標」と書くと、「数ある映画の中の『次元大介の墓標』という映画ただ1つ」を指すような感じになりましたね?あまり一般的ではないですが、自分のお墓は1つじゃなくてもいいですよね?分骨していくつかのお墓で弔うこともできますね?縁起でもないですが、仮に次元がマジでお墓に納骨されたとて、分骨したら「次元大介」の「墓標」って増えますよね?映画はリメイクしたら別物ですよね?DVDも劇場も本編は同じですよね?監督が別人で全く同じ映画ができたら「○○監督の『次元大介の墓標』」と呼び分けますよね?「『次元大介の墓標』を見た」と書かれれば、「ルパンの映画を見たんだな~」ってなりますよね?「お墓参りしたんだな~」にはなりませんよね?これは「次元大介の墓標」が1つの固有名詞*4としての使われ方になっているからです、というのが私さいがきが勝手に思っていることです。ここまでで何回次元の名前と墓の話をするのやら。

 

ここでふと思いました。「(固有名詞)の(一般名詞)」が固有名詞化している名詞って(その名詞がどんなものを指しているかを問わず)響きがかっこよくない?って。『次元大介の墓標』は確かに固有名詞ですが、固有名詞された「(固有名詞)の「(一般名詞)」という名詞って結構あるような気がするんですよ。

 

例を挙げるならば「フェルマーの最終定理*5」「エラトステネスの篩*6」「ファラリスの雄牛*7」なんかでしょうか。探すと案外見つからないですね...「オールトの雲*8」とかかな?エラトステネスの篩もそうですけど、数学用語の「なんとかの法則」系は多そうですよね。「オイラーの多面体定理*9」「ヘロンの公式*10」とか...「ユークリッドの互除法*11」ってのもありましたね。

ここにあげた名詞も似たようなものです。「3以上の自然数 n について、x^n + y^n = z^n となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理」を「フェルマーの最終定理」という訳で、この定理を指して「フェルマーの最終定理」という固有名詞した名詞を用いています。たまたま言い出したのがフェルマーだからフェルマーの最終定理ですけど、「フェルマー」の「最終定理」だとしたら、これ以外にもフェルマーが定理を見つけていたかもしれません。それが何個か証明できないまま何百年何千年と経てば、「フェルマー」の「最終定理*12」が2つ以上生まれていたかもしれない。結果論ではありますが、「フェルマーの最終定理」が固有名詞化されたと言えます。多分。「エラトステネスの篩」「オイラーの多面体定理」も似たような理由で固有名詞化されていると言えるはずです*13

それにしてもなんでこういう「(固有名詞)の(一般名詞)」で構成された固有名詞化した名詞ってかっこよく聞こえるんですかね。「その人のもの」感が増幅するから?漫画の二つ名っぽいから?

いや違う、スポーツ選手にしても漫画の登場人物にしても、ある程度の実力や実績みたいな確固たる地位がないと二つ名って付かないじゃないですか。日ハムの選手がどいつもこいつも「北の侍*14」と呼ばれるわけでもないし、黒いユニフォームを着ているチームは何でもかんでも「オールブラックス*15」と呼ばれるわけではありません。ワンピースも麦わら帽子をかぶった人間をどいつもこいつも「麦わらのなんとか」とか言って30億ベリーの賞金首扱いする*16野蛮な漫画じゃないしね。そこはやっぱ実績ですよね。フェルマーもエラトステネスもファラリス*17も実績を残していて、その発見が数学や考古学の学界に多くの影響を与えたという偉大さが評価されたから、こういう「(固有名詞)の(一般名詞)」の(固有名詞)にその名を刻めたんだと思います。やっぱ「歴史に名を残す」ってすごいことですね。仮に私が手元のスナック菓子に「さいがきのおやつ」と書いた付箋を貼ってそのまま数千年忘れ去っても、「さいがき」の名が残ったのは歴史ではなく付箋なので、くしゃくしゃポイでなかったことにできるわけですしね。ほっといても誰かが勝手に作った「信長の野望」が世に大々的に発売されても、「さいがきの野望」は自分から頼み込まないとゲームになんか到底なりません。頼んだところでゲームにはなりませんが。

フェルマーオイラーやファラリスや信長は歴史に名が残っているから後世では定理だったり処刑器具だったりゲームの名前になる。

歴史に名を刻んで死に逝く者は数知れず、所詮我々は世界中の人間のうちのほんのわずかな人間にだけ名を知られ、200年後に我々を知る人間はただの一人も残っていない、「人類史の平凡な構成物」です。現に私だって母方のひいひいじいちゃんのことなんか聞かれたって微塵も知らないんですから。もし200年後に私の骨が見つかったとして、DNA鑑定をしても、その骨が「200年ほど前の人間」というのはわかっても「さいがき」であるとはわかる術はありません。お墓が奇跡的に残っていて、「さいがき」だとわかったとしても遺骨と化した「さいがき」が何者なのか、どんな人間なのかはまたわかりません。きっとそのころには私のTwitterアカウントも、書き散らかした小説家になろうも、そしてこのブログも、インターネットからは消え去っているでしょう。精神の死、肉体の死、そして歴史上での死を迎え、「いなかったことになる」のではないでしょうか。先述のフェルマーオイラー、ファラリスは「(固有名詞)の(一般名詞)」の(固有名詞)にその名を刻んだことで、未来永劫歴史上での死を迎えることはないでしょう。歴史に名が刻まれた時点で、それは失いようがない「事実」に変わるからです。記憶は消えても歴史は消えない。逆に言えば歴史に乗らなければ記憶から消えておしまいです。そう考えると空しくて仕方が無くなりますね。書いていて怖くなりました。もしかして「(固有名詞)の(一般名詞)」がかっこよく見えるのは、歴史に名を刻むことができるほどの実績に対する羨望と、この歴史上の死、死んだら全部おしまいという事実に対する潜在的な恐怖心や杞憂からきているのかもしれませんね。

人間の歴史をたどると、不老不死にあこがれた人間*18を見ることがあります。まあ我々は知っての通り、不老不死なんてことは有り得ないので、いずれ来る最期の時から目を背けつつも、最終的には何もかもを失うという残酷な未来に向かってただ突っ走って生きています*19。その中でやっぱり死んだ後も自分の生きた証をなんとか残し、歴史上の死を避けたいと心のどこかで思っているのかも...なんて思いました。

えぇ、そんなことできるわけないってわかってますよ。私は私として生きてひっそり死んでいくのです。再三ですが、やっぱそれって空しいじゃない。奇跡的な確率で生まれたんだし、死んだ後も爪痕残したいじゃん。そうすれば、一見矛盾しているように見える「死んでも生き続ける」ことができるじゃん。そういう生き方がいいか悪いかはわかんないし、これから自分が生きていく上でそういう生き方を選ぶ可能性は低いけど、もしできるなら...って考えちゃうんですよねぇ...

 

というところで、「(固有名詞)の(一般名詞)」ってかっこよくない?からなんか迷走してしまいましたが、結局は「人間の心の奥に潜む『死によってもたらされる、自分という存在の消滅』への抵抗」が「(固有名詞)の(一般名詞)」が固有名詞化した名詞を「かっこいい」と思わせているんじゃないか、という結論に持っていきたいと思います。回り道しすぎ。自問自答で書いていったので、何ともまとまりがないうえに、自分でも想定していなかった方角から結論っぽいものが出てきたのでびっくりしています。何より深夜に書き始めたのに、はたまた深夜に書き始めたせいで、話題が死という超絶ダークなものになってしまったのが最高に最悪。もっと明るい話題にしたかったんだけどなぁ。

 

というわけで柄にもなく哲学してしまいましたが、自分の中でなんか気分が晴れたのでとりあえず筆を置きたいと思います。ありがとうございました*20。次の記事からは平常運転で行きたいです。

*1:元ロッテの代田建紀の応援歌が「ルパン三世のテーマ」なのでそこからと思われる。

*2:正確にはスピンオフ作品のシリーズ。

*3:敵が墓を用意してからターゲットを殺すという手法を使う

*4:ここでは作品名

*5:3以上の自然数 n について、x^n + y^n = z^n となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理。イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズが1995年に証明した。

*6:指定された整数以下の全ての素数を発見するための単純なアルゴリズム。1から任意の整数nまでを1列が10ずつになるように表に並べ、1、2の倍数、3の倍数、5の倍数、7の倍数、...というように素数の倍数になる数を消していく方法。11×11=121なので、7の倍数まで消したところで120以下の素数をすべて検出できる。

*7:古代ギリシャの処刑器具。真鍮で鋳造された、中が空洞の雄牛の像であり、胴体には人間を中に入れるための扉がついている。受刑者となったものは、雄牛の中に閉じ込められ、牛の腹の下で火が焚かれる。真鍮は黄金色になるまで熱せられ、中の人間を炙り殺すという代物で、当時の王・ファラリスの命令で、製作したペリロスが試しついでに処刑されたり、そのファラリスも反乱の際にこれで処刑されたりしたという逸話もある。

*8:太陽系の外側を球殻状に取り巻いていると考えられている理論上の天体群である。「理論上」というのは、存在の照明がなされていないから。長周期彗星および非周期彗星のふるさとともされていたりいなかったりする。

*9:穴の開いていない多面体、すなわち球面に位相同型な多面体については、頂点、辺、面の数について、(頂点の数) + (面の数) - (辺の数) = 2が成り立つという立体図形の基本のキみたいな定理

*10:3辺の長さが a, b, c などと分かっている三角形の面積 S を求める公式のことである。知ってると楽だけど知らなくても割とどうにかなる。全部の辺の長さを足して二で割ったものをsとしたとき、面積Sはs(s-a)(s-b)(s-c)の平方根で求められる的な公式

*11:2つの自然数の最大公約数を求める手法の一つ。2つの自然数のうちの大きい方を小さい方で割った余りで割った数を割っていき、余りが0になった時の割る数が最大公約数になるみたいなやつ。

*12:フェルマーは実際いくつか予想をしており、それを後世の数学者が証明もしくは反例を示したことで決着したが、この問題はそれらを最後まで示せなかったので最終定理と呼ばれている。

*13:というか「エラトステネス」の「篩」とみると、エラトステネスの家に調理器具の篩があった場合にややこしくなる。まあ「オイラーの多面体定理」もそうだけど「墓標」みたいな可算名詞は、その前につく名詞が格助詞によって連体修飾語になると「同じものを意味しているけど姿形が異なるもの」になる(誰かの墓標は異なるデザインがいくつ建っても「誰かがここで眠っている」ことを示す墓標だし、ビッカメ娘の名刺はイベントで別の種類を配っていても「その店にはこのビッカメ娘がいる」ことを示す名刺)のに対して、「定理」「(エラトステネスの)篩」みたいに概念のことを言っている不可算名詞は前についている名詞に格助詞がついて連体修飾語になると「別のものを意味していて姿形も異なるもの」になる(植物の顕性と潜性とを見分けるときに出てくる「メンデルの法則」と一定の温度の下での気体の体積が圧力に反比例することを主張する「ボイルの法則」が「~の法則」という名前だけど「誰か」「何か」みたいな表現が使えないレベルで中身は別物であるみたいな)ように感じられます。

*14:小笠原道大選手のこと。2005年を除いて2000年から2010年まで打率.300以上を記録したアベレージヒッターでありながら、コンスタントに30本以上本塁打を打つ長打力も持ち合わせており、通算2120安打378本塁打、通算打率.310を記録したレジェンド。

*15:ラグビーニュージーランド代表のこと。W杯優勝3回、ザ・ラグビーチャンピオンシップ優勝18回はともに最多。これまでに行われた試合の約4分の3の試合に勝っており、勝率はサッカーのブラジル代表を上回るという圧倒的な強さを誇る。世界ランキングも悪くて大体5位以内にはいる。

*16:ろくに読んでいないからルフィの懸賞金が変わってたらごめんね。

*17:こいつは悪い意味でですが

*18:始皇帝豊臣秀吉など。権力者は現世をコントロールできるようになると、死後の世界もコントロールしたくなるようです。

*19:なんか倫理に似たような学説があった気がしますが覚えていません。

*20:まさかここまで読んだ人はいないと思いますけど...